「みんな正しいと言っている」が正しくないもの
「みんな正しいと言っている」。だからと言って正しいとは言えない。本日はそういう例のご紹介です。私はクラシック音楽オタクなので、クラシック音楽の話からの例となりますが…。
ラフマニノフの交響曲第2番という、1時間くらいかかるオーケストラ曲があります。二十世紀の初頭に書かれた作品です。この作品は、長いこと、しばしばカットされて演奏されてきました。1950年代くらいの録音を聴くと、だいたいカットされています。1990年代の録音でもときどきカットされた演奏を聴くことができます。現代ではこの作品は再評価が進み、ほとんどノーカットで演奏されるようになりました。
ところで、この作品の、ストコフスキーという指揮者による、ハリウッド・ボウル交響楽団の、1946年のライヴ録音があります。私は数年前、ある音楽図書館で、スコア(総譜)を見ながらこの録音を聴きました。ノーカットでした。(第1楽章の繰り返しは省略されていましたが。)これを最近、ネットでつぶやいたら、注意されました。ストコフスキーのラフマニノフ2番には、第4楽章にわずかなカットがあるのですよ、と。参考文献(ネット記事)も引用されてありました。なぜかすぐ自分は間違っていると思い込みがちな私は「あ、すみません」と謝ってしまったのですが、よく考えると私は数年前に楽譜を見ながら聴いたときノーカットだったし、しかも私はちゃんとスコアの読める人間だし…。というわけで、ここからなにが言えるか。
つまり、日本語のクラシックオタク記事のほとんどすべては、ストコフスキーのラフマニノフ2番にはカットがあると書いていますが、彼らは、お互いにお互いの記事を参照して引用するだけなのです。これは最初に誰が言い出したことなのかわからないのですが、みんなで言っているものだから、だんだん本当に思えて来た、というところなのです。おそらく図書館に行ってスコアを見ながら1時間かけて聴いてものを言っている人間がいないのでしょうな。
これが、インターネットの特徴だと思います。ネット検索した人はほぼ間違いなく、ストコフスキーのラフマニノフ2番にはカットがあると信じてしまうことでしょう。
この現象は、学術論文でもあるそうです。新約聖書学者の田川建三さんが書いていました。詳述すると上記のラフマニノフの話のごとくにマニアックになりますので省きますが、互いに互いの論文を引用しているうちに定説になってしまっているものの、よくもとをただすとなんの根拠もない、ということはあるようです。これはオタク話だけではすまないですよね。
私は大谷翔平さんに会ったことがありません。大谷翔平さんって実在するのでしょうか。あるいは、織田信長って実在したのでしょうか。130億年前にビッグバンってあったのでしょうか。少なくとも私はビッグバンの原論文を読んだことはなく、学会発表も聞いてはいません。
私の友人で、あるフリーランスの牧師さんがいます。(会いに行くキリスト教会 会いに行くキリスト教会|会いに行くキリスト教会 (ainiiku-church.com) のともみんこと石川有生さんです。)彼は極めてお金に詳しいです。よくお金の本を読んでおり、最新の正確な知識を持っています。私はお金について知りたいときは、たいがい彼に聞きます。このように、ネット検索よりも、信頼できる誰かに聞いたほうが正確な知識が得られることはあります。(もっとも彼も、自分が100パーセント正しいとは言えない、と必ず断りますが。)
先述のストコフスキーのラフマニノフの件についてですが、私には四半世紀の付き合いになる、オランダ人の世界的なストコフスキーオタクの友人がいます。彼にメールで聞いたところ、すぐに返事がありました。ストコフスキーはラフマニノフを一切カットしていない、と。英語で書いてありましたが「not」がゴチックになっていました。彼もおそらくスコアを読んだわけではないのでしょうが、その圧倒的なオタク知識から即答してくれました。これも、ネットよりも信頼できる人に聞いたほうがいい場合の話です。
先述の新約聖書学者の田川建三さんの「学術論文にもしばしばそういったガセがある」という話も、私が田川さんを信頼している、という以上には根拠のないものです。私にとって田川さんは信頼に足る学者です。
私はよく「そんなになんでも人に聞いていないで、ちっとは自分で調べろよ。ネットにいくらでも書いてあるんだからさあ!」と言われたりもします。でも、ここに述べたようなことがあるのです。「高校のとき、『小泉八雲はラフカディオ・ハーンという外国人なのだ』と言って、クラス中の笑いものになった」という話をネットで読んだこともあります。現在、「ストコフスキーのラフマニノフ交響曲2番はノーカットだ」と言うと、注意されるかバカにされます。「みんな正しいと言っている」。だからと言って正しいとは言えないのです!