どこから書こうかな…。今回の話はまた受け売りが多いですしねえ。また聖書の話からでいいですか?
イエス・キリストはときどき「あなたの信仰があなたを救った」と言うのです。これは、盲人バルティマイが癒されたときに言われていますし、12年、出血が止まらなかった女の人も言われています。これ、長いこと、私のなかで、謎の言葉だったのです。
なぜなら、神に頼ることを信仰というのだと思ったからです。あなたの信仰があなたを救ったと言われますと、まるで自分で自分を救っているみたいで、なんだか、それなら神様はいらないじゃんって思えるわけです。ですから、長いこと、この聖書の言葉は、私の中で謎の言葉でした。けっこうクリスチャンでもこの言葉を謎の言葉だと思っている人はいるのかも?
安冨歩「生きる技法」という本に出てくる話です。自立とは依存することであると。昨今、よく聞く言葉ですが、この言葉の真の意味を理解している人は少ないのではないかと思っています。
小島直子さんという先天性の脳性麻痺の重度の障害者の書いた自伝があります。「口からうんちが出るように手術してください」というタイトルの本です。いま手元にあります。(サムネを著作権的に合法的にこの本の表紙にすることはおそらく可能です。それを知っている人に聞いてからこれを書くべきだったかな。まあいいや。)最近ようやく、Amazonで古本を買いました。2000年刊行の本です。23年も前の本ですが、考えてみますと、私がキリスト教の洗礼を受けた年であり、ほぼ修士論文提出のころです。それほど古い本ではないとも言えます。少なくとも聖書よりはずっと新しいですよね。
この本を読んだ中村尚司さんというベテランの経済学者が、論文に「自立とは依存することである」と書いたそうです。これが2002年です。安冨さんはこれを「小島=中村の原理」と言っています。なお、安冨さんの本は、2011年の刊行です。
つぎに、当教室のエピソードを出します。ちゃんとご本人様に許可をいただいています。ありがとうございます。かいつまんでお話しいたしましょう。
親御さんと、ティーンエイジャーのお子さんの生徒さんです。親子そろって、すっかり私の理解者となってくださいました。ありがたいことです。その親御さんが書かれたメールに、あるとき以下のようにありました。
先生(私)が、いろいろなお友達に聞いているのが、気づきになりました、といった感じのメールです。
よく、私は、生徒さんやその親御さんに、「それはちょっと今度、友達に聞いてみます」とメールに書いていると思います。実際、友達にいろいろなことを聞いています。
その親御さんは、お子さんの自立を考えておられました。そこで、私がそうやって、ひんぱんに友達に聞いていることがヒントになったらしいということです。人に頼ることは自立への第一歩ですからね。
このように、安冨さんの言う通り、自立とは人に頼ることなのです。しかし、私は長いこと、その逆だと思っていたのです。つまり、自立とは人に頼らないことだと思っていたのです。
人に迷惑をかけちゃいけない、とよく言われます。あたかも、人に迷惑をかけないことが、一人前の大人であるかのようです。しかし、それは大きな勘違いでありました。これは、私のような、いわゆる毒親に育てられた人間に限るまいと思います。現代の多くの人が勘違いしていると思います。自立とは依存しないことだと思っておられる。しかし、正しいのは、自立とは依存するということであったのです。
小島さんの自伝に戻ります。小島さんは手足が不自由です。しかし、それで徹底的に人に頼ることによって、自立を果たしているようすがこの本には書かれています。私はようやく古本で入手したわけです。ごめんなさい、まだ半分くらいしか読んでいません。すべて読んでからこういう記事を書くべきかもしれませんが…。(※この記事が予約投稿される2023年5月31日の午後1時半、最後まで読み終えました。確かに小島さんは「非常に自立がしたい人」であられます。この本を読んで「自立とは依存である」と結論した中村さんという人の偉大さに改めて感動します。)
それで、「口からうんちが出るように手術してください」というタイトルの意味がわかりました。おしりからうんちが出る以上は、小島さんは、いわゆる下の世話は、人の手を借りなければなりません。小島さんは、非常に「自立がしたい人」です。執筆時、31歳くらいの独身女性です。(いま54歳くらいのはずだなあと思って検索すると、立命館の准教授になっている…と思ったら同姓同名の別人でした。どうなさっておられるのか…)
そこで、口からうんちが出たら、自分のことがだいぶ自分でできるようになるのです。自立に一歩、また近づくのです。だから、それが書名になっています。口からうんちが出ることは、小島さんの自立への道です。
しかし、書名は「・・・ように手術してください」となっています。これは、そういう手術をしてくれる医師に頼っています。
と言いますか、口からうんちが出る手術は、現代医学でも不可能でしょう。それがわかっているから、小島さんは、口からうんちが出るように手術してほしいと願いながらも、それが医師には言えないわけです。可能だったらとっくに手術してもらっているでしょう。
つまりこの「口からうんちが出るように手術してください」という書名じたいが「自立とは依存である」ということを端的に表現しているのです。
それで、中村さんという経済学者が、論文に書いたわけです。自立とは依存であると。
安冨さんの本は、いきなりこの「小島=中村の原理」で始まっています。そして、オビには「「助けてください」と言えたとき、人は自立している」と書かれています。これも本の内容を表現するのに的確なオビです。
盲人バルティマイは、イエスに「助けてください」と言いました。何回、叱られても「助けてください」と言いました。バルティマイは自立しています。
イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言うとき、それは、あなたのあつかましさがあなたを救ったという意味であり、われわれからすると、自分の「人に頼る気持ち」が自分を救っていることになります。つまり、自立とは依存なのです。バルティマイにせよ、12年出血の女にせよ、徹底的に人に頼ることによって自立を果たしています。
あなたの信仰があなたを救ったって、こういう意味だったのですね!
ですから、安冨さんは、2000年に出た小島さんの本を読んで2002年に中村さんが論文を書いたので「小島=中村の原理」と呼んでいますが、これはもう、その2000年近く前から気づいている人はいたのです。これは「バルティマイ=マルコの原理」と呼んでもよいです。バルティマイが頼り、マルコが聖書に書いたからです。
それで、この記事で言いたいことは、星くず算数・数学教室もそうだということです。私は、いろいろな人に頼り、先述のようにいろいろな人にわからないことを聞き、いろいろな人に迷惑をかけて、たくさん遠回りをし、それで、どうやら自立に向かっているようなのです。
本当に、たくさんのかたのおかげさまで当教室は成り立っています。ありがとうございます。本日の記事も長かったですね!ここまでお読みくださり、ありがとうございました。自立について考えるかたのご参考になったらうれしいです。