「室内楽喫茶 トレンディこまば」
いま、私の手元には、「室内楽喫茶 トレンディこまば」のパンフレットがあります。これは、私が大学1年生のときの東大の駒場祭の東大オーケストラの室内楽大会です。「室内楽喫茶」とは、東大オケの室内楽を聴きながら、東大生の作ったお茶やケーキ等が食べられるというものです。1994年の11月18日(金)と20日(日)に行われています。(19日にやっていない理由は思い出せません。当時は日記をつけるようになる前でした。)いまから30年前、私は18歳でした。当時のことを思い出しながら、書きますね。
まず、この店名「トレンディこまば」についてです。当時、「トレンディ」という言葉は流行ってすぐ廃れつつある言葉でした。「トレンディドラマ」といった言葉が流行り、そののち急速に廃れつつあったのです。これは、この年の5月(私が東大オケに入ってすぐ)の合宿で行った合宿所の名前が「トレンディ」を名乗っており、当時の団員のあいだでは非常におもしろがられました。そこからついた店名であったと思いますが、ハタから見たら、世間知らずの東大生が、「トレンディ」というすでに流行りが廃れた言葉を店名にしているように見えたかもしれません。
私は当時、非常にへたであったにもかかわらず、3曲も出演しています。若気の至りとしか言いようがありませんが、そもそもここに出演する東大生のすべてが「若気の至り」であるとしか言いようがないとも言えます。ひとことで言うと恥ずかしさのかたまりのような冊子なのですが、そこから、私の出番3曲と、先輩の演奏で印象に残ったもの2曲について、書きたいと思います。
まず、18日の9番、11時57分からが、ハイドンのフルート四重奏曲ト長調op.5-4でした。フルート四重奏とは、(フルート4本という意味ではなく)フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという室内楽です。もともとはある弦楽器の仲間から打診を受け、三転四転して、このメンバー、この曲に固まったと記憶しています。この曲を練習したのが懐かしいです。私にとって唯一のフルート四重奏の経験となりました。
私は、フルート四重奏をやることになったとき、自分の先生に、フルート四重奏でやるべき曲のおすすめを聞きました。先生は、かの有名なモーツァルトのニ長調をすすめてくださいました。しかし、私は反対してしまいました。私よりもずっとうまい同輩が、同じく非常にうまい弦楽器の仲間とそのモーツァルトのニ長調は、学内の室内楽大会で発表してしまっていたのでした。私は同じ曲となって重なるのを避けたかったのでした。いま考えるとかまわずモーツァルトのニ長調をやるべきであった気がしますが、当時の私にとっては一大事でした。先生は代案としてモーツァルトのイ長調を挙げかけ「待てよ」ということで、このハイドンのト長調となったわけでした。
私は、この曲にはなじみがありました。中学のころから持っていたカセットテープで、この曲は知っていたからです。ハイドンのフルート四重奏曲op.5の1から4の4曲をおさめたカセットテープでした。ウェルナー・トリップらウィーン・フィルのメンバーによるレコードから作られたカセットテープでした。それゆえになじみのある曲だったのですが、弦楽器の仲間はこれを知りませんでした。「音源を聴かせてほしい」と言われました。私はそのカセットを聴かせるしかありませんでした。当時はほとんどインターネットがなく、携帯電話やパソコンを持っている人も稀で、もちろんSNSなどはなく、音楽を聴くとしたら、このようにCD等を聴くしかなかった時代です。それでとにかく練習をいたしました。へたかもしれませんが、とにかくがんばってやったという記憶はあります。
このときのユニット名は「ドーンと町おこし」というものでした。これは、ある友人が、どこかで見たというキャッチフレーズで「ハイドンで はいドーンと町おこし」というものがあり、それに基づいて私がつけた名前です。
この本番のはるかあとのことです。私がこの懐かしい曲のCDを買おうとして、えんえんと買えなかった話を書きたいと思います。先述のトリップらの演奏(カセットテープ)のほか、この曲のCDは見かけないのです!ハイドンのフルート四重奏曲というものは、どうやらかなり珍しい曲なのでした。
のちに、インターネットというものができてから、しばらく(10年以上?)オープンプロブレムだった問いがあります。おそらくヤフー知恵袋的なものだったのではないかと思いますが「ハイドンのフルート四重奏曲を聴きたいです。かつてラジオで聴いて、いい曲だと思いました。しかし、CDが見つからないのです。CD屋さんでも『ハイドンにフルート四重奏曲などありますかねえ』と言われる始末ですが、記憶によるとハイドンのフルート四重奏曲はあります。どなたかご存じではないですか」というような問いが10年くらいオープンプロブレムだったのです。私は一度も反応しませんでしたが「ハイドンのフルート四重奏曲というのはありますよ!ここに、やった人間がいます!」と言いたかったものでした。(ハイドンのフルート三重奏曲は有名です。ハイドンのフルート四重奏曲は極端に無名だったのです。)
のちに、バルトルド・クイケンらによるCDを見たことがありました。買わなかった理由としましては、クイケンは時代楽器の演奏家であり、たいがい半音くらい低く聴こえるのであり、絶対音感を持つ私には酷な音楽鑑賞となることが目に見えていた(耳に聴こえていた)せいです。でも、ハイドンのフルート四重奏曲のCDはありました。
のちに、YouTubeというものができて、このハイドンのフルート四重奏曲をアップしている人を見ました。確かにこの曲です!ただしその人は少し譜面の読み間違いを犯していました。しかし、とにかくトリップ(および自分)の演奏以外の演奏を聴いたことになります。
そして2024年現在では、ランパルらによる演奏がナクソス・ミュージック・ライブラリで聴けます。フルート界のレジェンド、ランパルはハイドンのフルート四重奏曲をレコーディングしていたのです。演奏してから30年。当時、18歳だった私は、48歳になっています。それで、この曲は「あるかどうかわからない曲」ではなくなりました。時代は変わりました!
つぎです。19番、14時13分からの演奏は、木管五重奏です。モーツァルトのディヴェルティメント第8番ヘ長調です。これも当時の同じ学年の木管楽器の仲間とやっています。
木管五重奏とは、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1の室内楽です(この、ホルンとファゴットのどちらを先に書くべきかは、いまだによくわかりません)。モーツァルトは、この編成の曲は1曲も書きませんでした。ハイドンもベートーヴェンも書いていません。ではこの曲はなにかと言いますと、オーボエ2、ホルン2、ファゴット2という六重奏のための曲を、木管五重奏のために編曲した楽譜であったのです。これは、駒場の部室にあったかなにかした楽譜をやってみることにしたのだったと思います。ご指導くださった木管の先生によると、こういうのは木管の(名前を見ると外国人でしたが)先生が木管五重奏用に編曲したものだ、ということでした。これは、私が東大オケに入ってはじめてやった木管五重奏曲であり、これもたいへん懐かしいものです。
これも、のちにこれが遠い思い出になってしばらくしてから、改めてCDを探そうとしました。原曲のCDは見つかりました。近所の図書館で、「モーツァルト全集」という、モーツァルトの作品をすべて網羅したCDボックスのなかに入っていました(モーツァルトの作品すべてあるわけですから当然あるわけです)。K.213というものでした。さらにのちに輸入盤のCDで入手しました。モダン演奏によるもので、ピッチが低くなく、ホッとしたものです。しかし、われわれの演奏した木管五重奏版のCDは見たことも聴いたこともありません。おそらくこの木管五重奏版は、教育的な意図のもとに編曲された楽譜であったと思われます。
そして、3曲目は、33番、17時06分からで、ホルストの組曲第1番でした。吹奏楽のための組曲第1番変ホ長調です。これは、いま考えると、吹奏楽の曲としては非常に有名な曲でした。これは、弦楽器の皆さんが、よく室内楽で、弦楽合奏の曲をやっているのが管楽器・打楽器の人間としてはうらやましく、それで管楽器・打楽器だけで集まって合奏をやりたくなるというものであり、私はこういうものに高校でも大学でも当たっています。これはそれであり、オケ内の室内楽としての吹奏楽でした。
私はピッコロを吹かせていただきました。非常においしいパートであり、もしかしたら東大オケで最も「おいしかった」パートはこの大学1年の室内楽喫茶におけるホルストの吹奏楽組曲第1番であったかもしれないのです。それくらいおいしいパートであり、また、この曲は非常に名曲でした。冒頭の主題が曲全体を統一していました。非常に完成度の高い曲であったと思います。いい経験をさせていただきました。
ここからは、先輩の演奏で印象に残ったものを2つ挙げます。
ひとつは、チャイコフスキー「四季」より10月「秋の歌」です。これは、おもに1個上の先輩の出し物でした。室内オーケストラの作品でしたが、私はこの曲にいたく感動したのです。チャイコフスキーの「四季」はピアノ独奏曲であり、このときの編曲はだれのものかわかりませんでしたが、主旋律はオーボエが吹くようになっており、うまい先輩のオーボエソロで堪能したのでした。とてもいい曲でした。
もうひとつは、室内楽喫茶の最後を飾っている、オネゲル:室内交響曲「深き淵より我は叫びぬ」(原曲:交響曲第3番「典礼風」第2楽章)というものでした。3個くらい上のうまい先輩による出し物でした。編曲もその先輩のひとりによるものでした。オネゲルの交響曲第3番の第2楽章の編曲であったわけです。感動して聴いておりました。オネゲルのこの曲は極めて美しかったです。先輩がたもすごくうまく、感動的なのでした。「ロイヤル・コンセルトヘボイ管弦楽団」と書いてありますが、ヘボいどころか非常にうまい先輩方の演奏でした。
以上です。この日(20日)の午後に、オーケストラの出し物があり、それが駒場の1年生の唯一のオーケストラの出し物である、駒場祭特別演奏会でした。この年はベートーヴェンの「エグモント」序曲、シベリウスの「フィンランディア」、ブラームスの交響曲第2番、アンコールにチャイコフスキーの「眠りの森の美女」のワルツ、でした。私はブラームスを除く3曲に参加させていただきました。考えてみれば駒場の1年生としてはずいぶん活躍させてもらったものです。いずれその話も書くことにするといたしまして、本日は「室内楽喫茶 トレンディこまば」のお話でした。18歳のときの懐かしい思い出です。