「答えはひとつ」という呪い
先日、私の以下のツイートが「いいね」1万回を超えてバズったことがあります。つぎのようなツイートでした。
“中学の音楽のテスト問題で、すごいものを見たことがあります。「『交響曲第9番』を作った作曲家を答えなさい」。どうやら「ベートーヴェン」と答えさせたかったらしいですけど、これ、交響曲を9曲以上作った作曲家は、すべて正解じゃんね!”
というものです。
私がこのテストを見たのは10年以上前、中高の数学の教員だった時代です。オーケストラ部顧問として音楽室の片づけをしているときに見つけました。たとえば、モーツァルトは交響曲が41番まであります。モーツァルトの交響曲第9番というのがどういう曲か、私は知りませんが、あるはずですよね。ハイドンも交響曲は104番まであるため、交響曲第9番はあるはずです。このほか、シューベルトやドヴォルザーク、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなどは正解となります。マニアックな名前なら、ブライアン、ホヴァネス、ミヤスコフスキーなども正解になります。(グラズノフが正解かどうかは微妙ですね。返信や引用リツイートはすべて見たのですが、グラズノフに言及している人はいませんでした。グラズノフは第9番が未完なのです。)
さて、これをおもしろがって「いいね」とかリツイートする人の気持ちはだいたいわかりました。「テストというものは答えはひとつでなければならない」と思っておられるのです。
しかし、教科書というものは、あえて答えがひとつになるように作られているのです。少し例を挙げますね。
・パンが9個あります。3人の人に分けるとしたら、1人あたり何個になりますか。
この問いをたずねられて、どうお答えになりますか。9÷3で、3個ですかね。しかし、私は「ひとりあたりの個数を均等にわけると」とは書きませんでした。「2個と3個と4個」とわけてもいいのです。こうなりますと、答えはひとつでなくなります。これを具体的に書き並べますと、「0個と0個と9個」(3人目が独占)、「0個と1個と8個」というふうに、もれなく、重複なく数え上げて、55通りになります。これは実際に数え上げてもいいですし、これは高校生になりますと、計算で求められるようになります。${_{11}C_2}$通りですね。
さて、私はこれらの9個のパンが、同じ種類だとも言いませんでした!9個の同じ種類のパンだったら、上述のように55通りとなります。しかし、カレーパン、メロンパン、チョコパンと、いろいろあったらどうなるでしょうか。ますます場合の数は大きくなります。極端なケースで、9個異なる種類のパンであった場合、何通りになるかと言いますと、${3^9}$で、19683通りになります。さすがにこれは書き並べることができず、計算で求めましたが。
ですから、教科書や問題集に乗っている割り算の問題は「9個の同じ種類のパンを、3人に同じ数ずつわけた場合、ひとりあたり何個になりますか」と書いてあるはずで、意図的に答えがひとつになるように作問されているのです。
小学校の道徳の教科書で見たことがあります。「算数は答えがひとつですよね。でも世の中のことは答えがひとつではないのですよ」。そうでしょうけど、算数も答えはひとつではありません。教科書に載っている問題が、あえて答えがひとつになるように作問されているだけです。加えて言うと、道徳もテストがあって成績がつくのですから、やはり道徳も「答えがひとつ」だとも言えるわけです。
この「正しい答えはひとつ病」は生活のすみずみに至っています。先述のツイートがそんなにバズったことからもその傾向は見て取れると思います。ある新聞記者さんと奥田知志さんの対談でも、「正しい答えはひとつ病」の話が出ていました。現代の呪いのひとつではないかと思います。もう少しのんきに生きていきたいなあ。