「自分の証明も大切にしてくださいね」。これは、私が算数や数学を指導するときに、ときどき言うせりふです。証明に限りません。自分の考えたこと、考えた方法、考えた理由などは、大切にしたほうがよいのです。私はこれを以下のような大学院でのやり取りから学びました。
私は修士論文の骨子を、修士課程1年のときの12月ごろの数日間で考えました。ほんとうにアイデアが出ていたのはその数日間です。ですから、私は、論文を打つのがものすごく速ければ、修士課程を1年で修了することも可能だったのです。しかし、そのアイデアを指導教官の先生に語るのは、その5か月後くらいでした。そのくらい忙しい先生だったのです。たぶん外国に何か月か単位で出張していたのだと思います。でも、骨子を話したときは、「星くずくんの作った複体がとてもいいものだったのでしょうね。修士論文としてはこれでじゅうぶんですけど」と言ってくださいました。そして、私の先生は、その分野の世界的権威の先生が同じ大学院にいましたので、その先生のセミナーに出席することや、その分野の当時のトピックだったある群(いまもトピックかどうかは知りません。なにしろそれから20年が過ぎており、数学の世界も日進月歩ですから)を口走ったりしていました。ちなみにその年の12月というのは、私は教会に入り浸っており、そのまさに修士論文のアイデアが出ていた数日間くらいに、教会の神学生から、ほんとうに学校に行っているのか心配された(バカにされた?)くらいでした。
さて、その先生から言われた群を調べ(このようにちょくちょく数学の専門用語が出ますが、気にせずにお読みになられてだいじょうぶです)、その定義を読んだ瞬間、またひらめきが起こりました。この群は、私が作ったその複体にフリーに作用する!そして、そのことは、当時のトピックであった(繰り返しますが今もトピックかどうかは知りません)大きな未解決問題を解決する可能性があったので、そのことに取り組み始めました。それで、修士課程1年の12月のときの定理を「第1主定理」とし、次のものを「第2主定理」として私の修士論文はできました。その証明は、まず私が、その直感に基づいたエレメンタリーなものをセミナーで披露し(それはとてもスリリングでした)、のちにその群はトージョンフリーであることを知り、それを使うと証明がずっとシンプルになるので、最終的に論文に載せた証明はそのシンプルなほうの証明でした。そのときに指導教官の先生に言われたひとことがさっきのひとことなのです。「自分の証明も大切にしてくださいね」。
私は修士論文を提出し、それが通り、また博士課程へ進学するための面接試験を受けました。それはほとんど修士論文の発表会でした。私がその第2主定理の説明をしていたとき、先生がた(そこにはその大学院の幾何の先生がすべて集まっていました)とのやり取りのなかで、私が「この定理はもともとその群がトージョンフリーであることを知らないで証明しましたので」と言ったところ、ある先生が次のようにおっしゃったのです。その先生は、若くして教授になられた、とても優秀な先生でした。もっとも東大の先生なら大概は優秀であられますけど。その先生が「そこからその群がトージョンフリーであることは言えますか?」と質問なさったのです。こういうときにパッと答えられない私はつい「できないと思います」と言ってしまったのですが、考えてみると、できるのです。正確には「たぶんできる」のです。それは考えたことがありました。それを思い出すと、ある見慣れない町の風景が思い浮かびます。修士課程2年のときにその町である研究集会(学会)が行われたので、そのさいに町を歩きながら考えていたということでしょう。「それはどうやらできる」というところまで考えて、細部まで詰めませんでしたが、とにかくできそうだということまでは考えたことがあったのでした。(それこそその群がトージョンフリーであることを知らない時代に考えたことだったと思います。その群がトージョンフリーであることを書いてある文献がなかなか見つからなかったことを思い出します。)とにかくその先生がおっしゃったことはちょっとしたアイデアで、それだけで論文になるかどうかは知りませんが、ちょっとした「論文の種」というか「小ネタ」くらいにはなったとは思います。そして、それは私の最初のエレメンタリーな(その群がトージョンフリーであることを使っていない)証明が役に立つわけですので、私の指導教官の言った「自分の証明も大切にしてくださいね」というのは、ほんとうに役に立つ可能性があったのです。(結局、博士課程に行って本格的に「研究の海」に船出する前に発達障害の二次障害である精神障害にやられて、私は数学どころではなくなり、それはこんにちにまで至るわけですが。)
というわけで、算数を勉強する小学生の皆さん、数学を勉強する中学生の皆さん、高校生の皆さん、大学生の皆さん、大学院生の皆さんも、ご自分で考えたことも大切にしましょうね。たしかに「模範解答」のほうが鮮やかかもしれません。先生の出した答えのほうが立派に見えるでしょう。でも、自分で考えたこと、自分の手を動かして導き出したことには、自分にしかない大切な価値があるのです。それを自分の手でつぶさないように、大切にしてくださいね。そして、小学校の先生、中学校の先生、高校の先生、塾や予備校の先生も、どれほど児童・生徒の皆さんが、稚拙なことを書いてきても、それも大切にしてくださいね。それは、その子が自分の頭で考えた、とても価値あるものなのです。私はこのことを、以上の大学院でのやり取りから学びました。