わからないことがわからない話

最近、インターネットで、相関係数にかんする記事を読みました。以下、少し頭の痛くなるような数学用語が続くかもしれませんが、この記事の内容には直接の関係はありませんので、気にせずお読みいただければ、と思います。

予備校のサイトです。生徒と先生の対話形式になっています。生徒が質問し、先生が答える形です。だいたい以下のようでした。

生徒:相関係数というのは、共分散をそれぞれの標準偏差で割ったものですよね?

先生:そうです。

生徒:標準偏差というのは、偏差の2乗の平均ですよね?

先生:そうです。

生徒:では、この公式では、なぜ偏差の2乗の和を求めたあと、頭数で割っていないのですか?

先生:それはですね…(以下略)

ここまで読んだ私は思いました。(おそらく皆さんも思われたと思います。)この生徒は、自分のわかっていないことが、はっきりし過ぎている!こんな質問をしてくる生徒は現実にはいない!「自分はなにがわかっていないか」が言語化できたら、それはもうかなり「わかった」うちに入る!

別の例を出します。私の住む市では、数年前から、小学校で算数を先生が教えなくなりました。市長の政策だそうです。グループで考えて、わからないところは質問しましょう、というスタイルになったのです。直観的に私は思いました。わからない子というのは、自分がなにがわかっていないのかもわからないのだ。自分はなにがわからないかがわからないから、質問のしようがないのだ、と。実際、算数のわからなくなる小学生が続出し、成績が下がるので親が危機感をもってわが子を塾に通わせ、それで成績が保たれ、市長はそれで自分の政策がうまくいったと思っていて悦に入っているとのことでした。

私のこの教室も、その市長の政策によって算数のわからなくなった小学生を相手にスタートしたようなところがあり、その市長サマサマなのですが、とにかく、「わからないことを言語化する」というのは、「わかるようになる」ということの大事なステップであり、「わかりません」が言えるのは、学問としてとても大切な要素だ、ということです。

小学生の皆さんも、大人の皆さんも、もっと「わかりません」「できません」を言いましょうね!自分のわからないことを言語化できる(「わかりません」が言える)のは、賢さですよ!

目次