わらしべ長者の賢さ
最近、絵本の「わらしべ長者」を読み返してみました。だいたい以下のような話です。
あるところに、極めて貧しい若者がいました。働いても働いても楽になりません。あるとき若者は観音様に願いました。何度も何度も願いました。そうすると、ある晩、観音様が夢に出て来ます。目が覚めて最初に手にしたものを大切にしなさい。若者の目が覚めると、それは夢でした。若者は起きて歩いて行き、転びました。思わず手にしたものは、わらでした。これが「わらしべ」なのですが、若者は、観音様に言われた言葉を思い出し、そのわらを大切にしました。
また歩いて行くと、あぶが飛んできて、ぶんぶんと、非常にうるさいです。若者はついにそのあぶを捕まえ、わらしべの先にゆわえつけました。わらの先であぶがぶんぶんいっている、おもしろいおもちゃのようなものができました。近くを通ったお金持ちの子供が、あれが欲しいようと言ってだだをこねています。若者はそのわらしべをその子にあげてしまいました。その子のお母さんが、お礼にみかんを3つ、くれました。
若者がみかん3個を持って歩いていくと、(私も詳しい話は覚えていないのですが)のどが渇いて死にそうな人がいました。若者はそのみかん3個をあげてしまいました。そののどが渇いて死にそうだった人は非常に感謝し、お礼に高価な布をくれました。
あとは皆さんもほぼご存じの話ではないかと思いますが、やがて若者は立派な屋敷に住み、田んぼで農作業をするようになりました。これが「わらしべ長者」です。若者はお嫁さんを迎え、末長く幸せに暮らしたということです。
この若者の特徴は、困っている人がいると、持っているものをあげてしまう点にあります。同じような話に「星の銀貨」という話があります。貧しい少女が、食べ物も着る物もすべて与えてしまうと、天から星の銀貨が降って来て、少女は以後幸せに暮らすのです。この若者も、のどの渇いている人にはみかんをあげてしまい、そのお礼にもらった布もあげてしまうのです。すべては人を助けた「お礼」なのです。人間は助けて助けられて、感謝されてお礼をもらって生きるのでした。
この話は、「えらくもうかるうまい話」ではないと思います。大船に乗った人が語って、どろぶねに乗った人が聞くと、そう解釈されがちですが、これはすべて観音様のおかげなのです。この物語を語った人も、そして少なくとも若者はそう捉えていました。しかし、ここで観音様が出て来たら言うと思うのです。「あなたの信仰があなたを救った」と。
聖書のイエスも、「あなたの信仰があなたを救った」と言います。十二年、出血の止まらなかった女にも、盲人バルティマイにも、「あなたの信仰があなたを救った」と言っています。若者からすると、自分の信仰(観音様を頼る気持ち)が自分を救ったことになります。
これらをトータルして、すべては観音様のおかげと言うのですけどね!ありがとう観音様!!
(これを「わらしべ長者の賢さ」というわけですね。)