オーケストラ・ダスビダーニャの演奏会を3回聴いた(1997年2月11日、1998年2月11日、1999年2月27日)

オーケストラ・ダスビダーニャというアマチュア・オーケストラがあります。もっぱらショスタコーヴィチの曲を演奏するアマオケです。最初に私がその存在を聞いたのは1996年だと思います。仲間がチェロ協奏曲第1番や、交響曲第10番を聴いた話をしていました。そのころ東京のアマオケではショスタコーヴィチが流行っており、東大オケでも1995年のサマーコンサートでは交響曲第9番をやっており、その半年後に交響曲第5番、その半年後の五月祭で「黄金時代」の「ポルカ」を演奏しています(いずれも私は乗っていませんが)。仲間にも、ショスタコーヴィチにハマった人はたくさんいました。このオケは、そんなショスタコーヴィチが大好きな人たちが集まり、年に一度、ショスタコーヴィチの作品だけの演奏会を開いていたというものでした。
私が最初にオーケストラ・ダスビダーニャ(以下、ダスビ)の演奏会を聴いたのは、1997年の2月11日でした。そのころ私は東大オケをやめ、最初の統合失調症の症状を出して学業と音楽活動を休んでいた時期であり、他の大学の仲間が出演するというので、聴きに行ったのでした。会場は池袋の東京芸術劇場でした。プログラムは以下です。
ショスタコーヴィチ 祝典序曲
ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第2番
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
黒川ちとし(ピアノ)
長田雅人(指揮)
(このブログのサムネイルはこの日のパンフレットの表紙です。)
祝典序曲はしばしば演奏される曲ですが、ピアノ協奏曲第2番と、交響曲第11番は、私はこれが生で聴いた唯一の機会となります。
ピアノ協奏曲第2番は、美しい緩徐楽章と、楽しげなフィナーレの特徴的な曲です。すばらしい演奏でした。
1997年当時、協奏曲のあとにソリストがアンコールする習慣はまだあまりなかったと思います。このときの黒川ちとしさんもとくにソリストアンコールはありませんでした。ただし以下の荒井英治さんのような場合もあります。
交響曲第11番は、楽しみにしていた曲でした。ストコフスキーがアメリカ初演した曲なのです。ヒューストン交響楽団を指揮した有名なレコーディングがあり、そのCDを東大オケ在籍時から聴いていました。先述の通り、ショスタコーヴィチの好きな仲間はけっこういたのです。この日のために私は、あとひとつのストコフスキーの指揮する交響曲第11番のCDをこの2日前である2月9日に購入しています。当時はインターネットがほとんどなく、もちろんSNSもなく、音楽を聴くとしたら、CDを買うしかなかった時代です。ストコフスキー指揮モスクワ放送交響楽団の1958年のライヴのショスタコーヴィチの交響曲第11番を買いました。すさまじいばかりに共感に満ちた演奏でした。これはストコフスキーが1958年に単身で旧ソ連に行き、旧ソ連のさまざまなオケを指揮したときのライヴ音源のひとつでありました。いまでも大切なCDです。
ダスビの演奏も、共感に満ちたすばらしい演奏でした。指揮の長田雅人先生の第3楽章におけるテンポ設定が、ストコフスキーともムラヴィンスキーとも違うところが興味深かったです。
日記には、客席でいろいろ仲間に出会ったことが書いてあります。私と同様、出演者の演奏を聴いたり、あるいは曲に興味があって聴きに来た仲間たちだったと思われます。
この演奏会でますますショスタコーヴィチの11番は好きになり、ラディスラフ・スロヴァーク指揮スロヴァキア放送交響楽団のCDも買ったものです。これは、第2楽章の銃の乱射を描いた場面から、クライマックスまでインテンポを守る演奏で、友人とともに聴いてたまげた覚えがあります。すべては昔話でありますが・・・。
翌年は、ダスビはショスタコーヴィチの交響曲第13番をやることになっていました。1年間、とくに合唱の団員を募っておられたことをよく覚えています。ショスタコーヴィチの交響曲第13番は、バス独唱と男声合唱を伴う大作なのです。
そして、翌1998年2月11日。前の年と同じ、建国記念の日における池袋の東京芸術劇場でした。私はこの間に、学業と音楽活動を再開して二度目の学部4年をやっており、後期のテストの最終日の前日のこととなります。
プログラムは以下です。
ショスタコーヴィチ ロシアとキルギスの民謡による序曲
ショスタコーヴィチ 「カテリーナ・イズマイロワ」から5つの間奏曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」
岸本力(バス)
長田雅人(指揮)
この日のパンフレットの表紙は以下です。

いずれも私がこれらの曲を生で聴いた唯一の経験となります。日記によりますと、やはりいろいろオケの仲間に出会っています。日記には「演奏は、とにかく(ウマイ、ヘタを感じるとかよりも)、やはり曲への思い入れを第一に感じた。音楽にとって最も大事なことは何か?を再確認した次第である」と書かれています。そうでありまして、このオケを3回聴いた感想としては、とにかく演奏する皆さんの曲を愛することが伝わってくる、ということでした。3回とも乗っている先述の友人のほか、ずっと上の東大の先輩で、大学の先生になっても、四国や九州から飛行機で練習および本番に参加されているかたもおられ、皆さんよほどお好きなのです。好きなものを好きと言えることって素敵ですね!
この日は、出会った仲間と飲みに行っています。まだ睡眠障害もなく、いまのように薬づけでもなく、普通にお酒を楽しめた時期だったということです。大学院入試を終えたばかりの仲間もいました。テスト前日ですが、飲んだので勉強どころではなく、翌日は最後の「微分形式」の試験を受けて、非常にうまくいったという日でした。
翌年が私にとってダスビを聴いた最後の機会であり、1999年の2月27日のことになります。このころの日記を見ますと、学部の生活が終わり、これから院生となり、開放感にあふれた楽しい雰囲気が日記から読み取れます。そんな日々のうちの一日、ダスビの演奏会を聴いたわけです。
午前中は学校の仲間と輪講(数学の本を一緒に読む勉強)などをしています。それからまた池袋の東京芸術劇場に行きました。プログラムは以下です。
ショスタコーヴィチ バレエ組曲第5番「ボルト」
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番
ショスタコーヴィチ 交響曲第6番
荒井英治(ヴァイオリン)
長田雅人(指揮)
この3曲も、私が生で聴いた唯一の機会となります。ほんとうに、ダスビの皆さんのおかげで、貴重なものがたくさん聴けたものです。ありがたいことです。
この日は、かなり前の席で聴いており、ソリストの荒井英治先生は非常によく見えましたが、あとは指揮者とオケの最前列の人しか見えないような席でした。
この日はソリストのアンコールがあったのです。ショスタコーヴィチの「馬あぶ」のロマンスでした。知らない曲でしたが、友人がとても有名な曲だと言っていました。美しい曲です。
後半の交響曲第6番はとてもよくなじんでいる曲でした。ストコフスキーがアメリカ初演し、世界初録音をした曲なのです。東大オケ在籍時から、ストコフスキーのCDを持っていて、よく聴いていました。私はこの曲を生で聴くのははじめてでしたし、いまのところこの曲を生で聴いた唯一の機会でしたし、やったことなどないのですが、一緒に聴いていたある仲間がポツリと「この曲、2回やったことある」と言っていてたまげたものです。このように、この日も、客席でたくさんの友人に会いました。
オケ全体のアンコールも2曲ありました。ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、比較的、短い曲だからだと思います。まず、ショスタコーヴィチの交響曲第10番の第2楽章、そして、ボルト組曲の終曲でした。「毎年思うことだが、このオケの、音楽への一途な愛、またはのめりこみようというものが、じかに伝わって来てすごい」と日記に書かれています。やはり、演奏している人が音楽を愛していることって、客席に伝わるものなのですね。
この日は、終演後の出演した友人に会ったほか、一緒に聴いた友人と食事をして帰っています。
これが、私が「ダスビ」を聴いたすべてです。ずっとのち、これらの演奏会に参加していたショスタコーヴィチの好きな友人と、共通の友人の結婚披露宴で久しぶりに出会い(2004年ごろかと思います)、ダスビの話をしました。ショスタコーヴィチには交響曲が15曲あるのですが、まだやっていない曲はあるとのことでした。のちに私は東京を去り、ダスビはまったく聴いていませんが、いまでもホームページがある通り、オーケストラ・ダスビダーニャは続いています。もうショスタコーヴィチの交響曲を何周したことでしょう。いまでも音楽への愛のあふれた情熱的な演奏を繰り広げておいでなのだと思います。
音楽っていいですねえ!
(パンフレットの表紙の使用はオーケストラ・ダスビダーニャさんの快諾を得ました。ありがとうございます!)