オーケストラ指揮者として最も多忙だった日

ある牧師さんが言っていました。男としてあこがれる台が3つある。1つは銭湯の番台、1つがオーケストラの指揮台、もう1つが教会の説教壇だ!というのです。これはある教会の説教のマクラでした。私は、銭湯の番台の経験がありませんが、残り2つはあるわけです。教会で説教することは、大学院生だった(おもに25歳の大病より前)学生時代に、子供の礼拝でのお話の経験が何度かあります。そして、オーケストラ指揮者としての経験もあるわけです。

中高の教員だった時代、私が指揮者をしていたことは、前にもこのブログで書いたことがあると思います。オーケストラ部の顧問でしたが、あるとき、若手の吹奏楽部顧問から、飲み会の場で、指揮者になることを約束させられてしまいました(吹奏楽部と別にオーケストラ部のある学校でした)。コンサートマスターの生徒さんもそれを望んでいる、とのことでした。私の指揮者デビューは2014年4月です。

このときから3年間だけですが、いろいろな指揮の機会が与えられました。私の役割は、コーチの先生が来られないときの「代打」として指揮者を勤めることでした。指揮者になってみてわかったのは、私はフルートやピッコロよりも、指揮のほうがずっと向いている、という事実でした。私は一度にたくさんの音を聴き分け、また楽譜を読む能力があったからです。(もっと向いている音楽のジャンルは「採譜」でしたが、そのことに気づくのはもっとのちのことでした。)

たった3年間でしたが、たくさんの貴重な経験ができました。そのうちのひとつ、指揮者として最も多忙であった日のことを書きたいと思います。1時間のステージをこなしたのです。私はその3年間の指揮者としての活動のなかで、1時間のステージをこなす経験はこれしかありませんでしたので、これが生涯で最も「長い」指揮者としての本番ということになります。2014年10月25日のことです。

あるとき、学校の近所の老人ホームからお問い合わせがありました。その老人ホームで「芸術祭」というものがあり、そこにわれわれオーケストラ部を招いてくださるとのことでした。お話をうかがうと、うちのオーケストラ部がトリで、1時間という時間をいただけるとのこと。コーチも来られないので、私が指揮することになりました。

あらかじめ、老人ホームの職員さんが学校に来られました。男女のお二人で来られ、職員室を珍しそうに眺めておられました。私もその老人ホームへ下見に行きました。かなり高級な老人ホームであるようでした。当日の控室、練習をする場所、本番のステージなどを確認しました。ティンパニが入るかどうか、よく確認したのを覚えています。

それで、10月25日(土)当日です。まず、ティンパニ3つのうち、2つまではその老人ホームの車に乗ったのですが、最大のティンパニが乗りませんでした。その老人ホームは近所であったとはいえ、これは、台車でガラガラと押して行ったのでは楽器によくないです。この日、学校説明会があって、そこで吹奏楽部が演奏することになっており、その顧問である音楽の教諭がいました。確認しておきますが私は数学の教員です。その音楽の先生が、学校に軽トラがあることを教えてくれ、それであとからティンパニを送ってくれると約束してくれました。おかげさまで、われわれはその老人ホームで最後の練習をしている最中に、最大のティンパニは「自動的に到着」する感じになりました。運転は老人ホームの職員さんです。ありがたいことでした。

ところで、この日、引率する教員は、私だけでした。学外でやるときに、しばしば私はひとりで引率しました。この日も、私ひとりで引率しているゆえのたいへんさがありました(考えてみますと私に発達障害の診断のくだる前ですね。それは大変でしたよ)。練習中にA管のクラリネットとオーボエの調子が悪くなり、オーボエの生徒さんが管楽器専門店に走ったりしていたのです。はらはらしました。それでも、朝から練習を続け、ついに本番の時間となりました。さっきのオーボエの生徒さんも戻って来ていました。以下のようなプログラムでした。この年に演奏する曲を総動員しての、どうにか1時間を持たせるプログラムです。

「レット・イット・ゴー」
「あまちゃん」
「ユー・レイズ・ミー・アップ」
「レ・ミゼラブル」メドレー

「とらえたまえ、われらを」
「まぶねのなかに」
「この世はみな神の世界」

楽器紹介

グリーグ 「山の魔王の宮殿にて」
ブラームス ハンガリー舞曲第5番
ドヴォルザーク スラヴ舞曲第1番
ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調「英雄」より第1楽章

第1部のポップスステージは、当時を覚えておられるかたなら懐かしい、そのころ流行っていた音楽が取り入れられています(先述の、ポップスに詳しいコーチの選曲によっているわけです)。「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、荒川静香さんがこの曲で滑って有名になったポップス曲とのことでしたが、じつは国によっては「現代賛美歌」と呼ばれていることをあとから知り、この2年後に、ある教会の礼拝でも指揮しました。ミュージカルのメドレーなどは、テンポがつぎつぎに変わり、なかなか指揮者の責任は重いです。

つぎの賛美歌ステージは、どうにか時間を持たせる苦肉の策でした。キリスト教の学校でしたので、賛美歌を演奏することは自然でした。賛美歌をご存じのかたには、「非常に有名な曲ばかり」と思われたかもしれませんが、この選曲には意味があります。当時、ヴィオラが弱体だったのですが、これらの賛美歌は、テノールパートがヴァイオリンでも弾けるという賛美歌なのです(最低音がGまで)。こういう賛美歌は、その学校で使われていた曲集のなかでも、数えるほどしかありません。これらは弦楽合奏でもそこそこサマになるのでした。

楽器紹介は、急に言われたものです。それでもやりました。各パートから、パートリーダーが楽器の紹介をしました。

そして、クラシック音楽のステージです。これも、そのころ練習していた曲の総動員です。先述のコーチは吹奏楽に詳しく、吹奏楽のコンサートではしばしば後半にポップスをやったりするのですが、私はクラシック音楽をあとにしました。これで正解だったと思います。「山の魔王の宮殿にて」とか「ハンガリー舞曲第5番」などは、あまりクラシック音楽をお聴きにならないかたでも、「ああこれか」とお思いになるであろう有名な曲です。「英雄」第1楽章は、これだけで15分はかかる大曲で、これをもってわれわれの1時間のステージは終わりました。

客席は、たくさんのお年寄りの皆さんであふれていました。もちろんコロナ前です。たくさんの温かい拍手をいただきました。アンコールの用意はなかったのに、アンコールと言われましたので、もう一度、「ハンガリー舞曲第5番」を演奏してアンコールといたしました。

あとから、ご担当の女性職員さんから感謝のメールをいただきました。以下のような感想をいただきました。最初の2つがお住まいのかたのご感想、最後のものが職員さんのご感想です。

「若い人たちが一生懸命演奏している姿で涙が出てきました」

「演奏で癒されました」

「音楽の力はすばらしく、私たち職員一同にとってもいろいろと勉強になりました」

残念ながらこの日の録音は残っていません。写真は残っていますが…。私の指揮するオーケストラと、それをお聴きになるお年寄りの皆さん。

最後に、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」のYouTubeのリンクをはりますね。「これは知っている」と思っていただける有名な曲です。テンポの緩急の差が激しい曲で、指揮者の役割は重要になります。(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公式チャンネルより)

へとへとになった記憶がありますけどね。でも、いい経験でした。本日の記事は長かったですね。以上です!

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