ショートスリーパーはすごくない。ハゲは清い

私の友人で、とてつもないショートスリーパーがいます。すごく睡眠時間が短いのです。夜はしょっちゅう友人を自宅に招き、夜遅くまで飲んでいます。私も招かれました。深夜1時くらいまでテレビを大音量でつけて飲んでいます。私には不可能なわざです。私だったら夜、聴いた音楽が耳に残ってしまい、寝付けなくなるでしょう(発達障害に特徴的な感覚過敏の一種だと思われます)。しかし、彼は翌日、元気に朝起きて、仕事に行きます。これは私でなくても多くの人が「すごい」と言うでしょう。しかし、よく考えてみると、彼は別にすごくないのです。単に彼は生まれつき睡眠時間が少なくてもすむように体が作られているだけであって、こういうのを個人差と言うわけです。食べるのが早い人がいたり、整理整頓が苦手な人がいたり、いろいろするように、これらは個人差です。
また、その友人は、後頭部が少しハゲています。それを彼は非常に気にしています。しかし、これも個人差としか言いようのないものです。なにか悪いことをしてバチが当たってハゲたわけではないです。これも生まれつき男性ホルモンが多いのか何なのか、とにかくハゲを恥じる必要はないのですが、彼はハゲを非常に気にしています。しかし私も男性なので、ハゲを恥じる気持ちはよくわかります。ハゲだけではありません。私はハゲてはおりませんが、「体が曲がって」います。それで第一印象がよくありません。これはもうハゲよりずっと見た目が悪いと思っております。しかし、悪いことをして体が曲がったわけではありませんので、恥じてもしようがないのですが…。(あえて言うと長いこと飲んでいる薬の副作用で体が曲がっていると言われていますが、それも発達障害の二次障害である統合失調症で20年以上薬を飲まざるを得ないので、どうしようもないです。)聖書にも「頭に毛がない場合、その人は禿(は)げているのであって清い」(旧約聖書レビ記13章40節)と書かれています。それで、あるハゲの人が、この聖書の箇所を引いて「ハゲは清い!」と主張していました。とにかくハゲは本当は恥じる必要のないことです。悪いことをしているわけではありません。
私は学生時代、勉強ができました。やたら高い学歴を持っています。しかし、これも個人差に過ぎず、私が誇れるものではありません。私は発達障害と言われる障害者です。これも私になにかバチが当たって障害者となったわけではないのでありまして、私が空気が読めないこと、頭や手をふらふらさせるクセがあること、段ボールしばりができないことも、恥じることではありません。私は職場での度重なる叱責により、仕事が継続できなくなり、長い休職のすえ、ついに昨年(2022年)の2月に仕事を失いました。しかし、これも誰にでも起きうることでありまして、私が平日の昼間からそこらを歩いていて近所の人から「なにあのご主人」と言われてもやましいことではないはずなのです。でも、人は障害をかくし、通院をかくし、失業をかくし、できることや得意なことは自慢します。しかしこれらはすべて個人差です。そう考えると、どんなに有名でえらい人も、私のような社会のクズであっても、同じ人間であることがわかります。しかし、私たちは常にそのことを忘れて、ショートスリーパーを尊敬し、ハゲを恥じているのです。みんな同じ人間ですよ。