ノーと言えるクリスチャン

今年のイースターは4月9日(日)です。キリストの復活を祝う日です。その前の週である現在は、受難週です。少し、キリストの受難について、書きたいと思います。

するとペトロが、「たとえ、皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と言った。イエスは言われた。「よく言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」。ペトロは、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。(中略)
ペトロが外の中庭に座っていると、召し使いの女が一人近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前で打ち消して、「何を言っているのか、分からない」と言った。ペトロが門の方へ行くと、ほかの召し使いの女が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこでペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉のなまりで分かる。」その時、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

(新約聖書マタイによる福音書26章33節以下、同69節以下)

長い聖書の引用でした。いかがでしたでしょうか。

「主よ、み手もて」という賛美歌があるのです。「いかに暗く 険しくとも みむねならば われいとわじ」と歌うのですが、これはイエスを裏切る前のペトロのセリフにそっくりだと思います。「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と言ったそうですよ。他の弟子も皆、同じように言ったそうです。これはひとごとではありません。われわれの偽らざる姿です。

この物語は、人間の弱さというものを、徹底的に描いてあますところのない物語です。これが実際の私たちの姿なのです。いざとなったら、人を裏切るのです。しかし、実は話はここで終わりではなく、イエスは十字架にかかって復活し、ペトロをゆるし、われわれ全人類をゆるしてくれたのです。ペトロは全人類代表のようにイエスを裏切り、そして、罪ゆるされて生きるわれわれ全人類の代表なのです。

この物語が書き残されている時点で、ペトロはゆるされていると思います。もしも、このペトロの裏切りの物語がゆるされない話であるなら、おそらくこの話はタブーとなり、書き残されることもなく、永遠の闇に葬られたでしょう。この話が書き残され、聖書に載っている時点で、ペトロはゆるされており、この話は壮大な「ゆるし」の物語であり、現在までわれわれをゆるし続けている物語であると言えます。

ペトロは「お前もあいつの仲間か?」と聞かれ、とっさに「ノー」と答えました。それも3回もです。私も、ノーと言えるクリスチャンでありたい。

「あなたは、クリスチャンですか?」「ノー!」
「毎日、聖書を読んでいますか?」「ノー!」
「いつも喜んでいますか?絶えず祈ってますか?どんなことにも感謝していますか?」「ノー!」
「互いに愛し合っていますか?」「ノー!」
「あなたは神を信じますか?」「ノー!!」(笑)

目次