先日、お使いで、深夜にコンビニに行きました。いくつかの買い物を頼まれていたのですが、どうしてもミートボールが見つかりませんでした。私は店員さんにミートボールは売っているのか、売っているとすればどこにあるのか、たずねました。その店員さんは外国人さんであると思われ、ミートボールという言葉が通じませんでした。(おそらく「ミートボール」って日本語ですかね。)その店員さんは、もう一人の店員さんに聞いていましたが、その店員さんも外国人さんであると思われ、やはりミートボールはわからないのでした。その店員さんは、ついにカウンターを出て、食べ物のコーナーに来て、私と一緒にミートボールを探してくださいました。私はミートボールを見つけました。結局、私が見つけたのです。しかしおそらく、その店員さんがいっしょに探してくださらなかったら、私は自分でミートボールを見つけることはできなかったと思います。その店員さんのおかげです。
皆さんは、1000まで数えた経験はおありでしょうか。当教室で、授業をしておりまして、1000まで数えた経験がないという生徒さんと、1000まで数えてみましょうという話になったことがあります。その生徒さんは、私の前で1000まで数えられました。30分近くかかりましたが、1000まで数えられました。新記録の樹立のようで感動的でした。「1000まで数える」というのは、一人でできそうなチャレンジではありますが、おそらく聞いている人がいて可能になるチャレンジである気がしました。これに限らず、当教室で算数や数学を学ばれるかたは、しばしばこういう側面がおありだと思います。(私は私で、「目の前で1000数える人を見た」という貴重な経験をさせていただきました。)
振り返ってみますと、修士課程のときの私は、指導教官の先生から、セミナーである論文の紹介をするように言われ、また、その論文のアイデアを使った当時の最新のプレプリントも教えていただきました。私は、セミナーで、先生や先輩や同輩(そのころ後輩はいませんでしたね)の前で、その論文や、他の論文、また、自分で考えたことなどを発表したものです。確かに私の修士論文は私が自分で書いたものであり、私が自分で証明した定理です。でも、皆さんが聞いてくださらなかったら成立しなかった論文だろうと思うのです。およそセミナーとはそのためにあると思われます。誰かに聞いてもらうという意味があると思うのです。(ちなみに、当教室のロゴは、2人乗りの浮き輪を意味しており、それをパンツと言われる曲面2つに分解し、さらにキルトと言われるものに分解したものです。これの片面に色をつけた「色つきキルト分解」はそのときの私の独創になります。これ、ロゴにしてみて気づいたのですが、これを「顔」だと認識してしまうと不気味ですよね…。)
ショパンも、ジョルジュ・サンドに去られてからは、ほとんど作曲ができなかったと何かで読んだことがあります。聴いてくれる人がいなかったら、ショパンも作曲ができないのでしょうね。もちろんショパンの曲はショパンが自分で作曲したものですけどね。個人差があるかとは思いますが、自分でできるために誰かの力を借りていることは多いと感じます。