上岡龍太郎さんの思い出

先日、上岡龍太郎さんの訃報を耳にしました。(このブログは予約投稿されており、本日は2023年6月6日です。)30年くらい前、「上岡龍太郎がズバリ!」という番組に出演いたしました。そのときの思い出を書きたいと思います。

私は東大オーケストラという極めて忙しくかつ厳しい部活におり、アルバイトの時間が限られていました。寮の先輩で、テレビ局に出入りしている人がいました。その先輩の募集で、「彼女いない歴半年以上の東京六大学生」というものがあり、それで応募したのです。単発のバイトという感覚でした。

「上岡龍太郎がズバリ!」という番組も知りませんでしたが、午後7時からやっているという人気のあるバラエティ番組でした。ウィキペディアをはりますね。上岡龍太郎がズバリ! – Wikipedia 毎回、ある条件を満たした50人が出るのでした。私が出たときは、モデルさん50人だったと思います。われわれはそれのわき役で「彼女いない歴半年以上の東京六大学生50人」(いまなら「東大生」にしそうですが)でした。「夏らしい恰好で来てください」と言われたことを覚えています。収録はまだ夏ではなかったのですが、放映が夏だったからです。友人といっしょに出ました。1回ぶんの収録でしたが、何時間もかかりました。あれだけの時間を拘束して、バイト代が5,000円で、しかも実際には4,500円で、残りがテレホンカード500円でした。バイトととらえた場合に割に合いませんでした。(もう30年くらい前の話ですから、携帯電話などなく、テレホンカードという時代です。)とにかくそれくらい時間をかけて1時間番組を収録するのだと学びました。

スタジオには、そのまんま東さんや渡辺満里奈さんがいた気がします。あとの芸能人はどうもよく覚えていません。内容もよく覚えておりません。ただ、私は目立たないようにしていました。私とその友人とで、お互いに49番か50番であり、胸に本名まる出しのゼッケンのようなものをつけているにもかかわらず、のちにオンエアを見たという人はまったく現れませんでした。カメラにうつっている気もしませんでした。よほど上の端のほうだったからです。目立っている後輩もいました。

私自身もオンエアは見ていません。録画もしませんでした。録画といっても現代のようにデジタルテレビで予約録画などない時代でして、VHSで録画するしかなかった時代ですが、それでも誰にも頼みませんでした。実はオンエアの日は東大オケのツアーの最中だったのでした。(名古屋のホールで演奏会でした。まさにその午後7時開演で、私はヴェルディの「ナブッコ」序曲のピッコロを吹いておりました。)それで誰からもなにも言われなかったのです。

あとから、ひんぱんに寮の電話に番組制作者から留守番電話が入っているようになりました。先述の通り当時は携帯電話がほぼなく、インターネットもメールアドレスもほぼない時代でした。どうやら「テレビに出たがるバカ学生」のリストに載ったらしいですね。実際、寮の仲間には「たけしの番組に出て尻を出した」とかいうようなやつはいたものです。その留守番電話攻撃は1年くらい継続し、そしてなくなりました。

これが、私の上岡龍太郎さんの思い出です。上岡さんそのものの思い出でなくてすみません。テレビ局におけるバラエティ番組の収録(出演)が珍しい機会だったというだけです。上岡龍太郎さんのご冥福を祈ります。

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