今年(2024年)の駒場祭に行って来ました

去る2024年11月24日、東大の文化祭である、駒場祭に、20年ぶりくらいに行って参りました。とても楽しかったです。私がときどきブログに書く駒場祭は、四半世紀くらい前の話ばかりですが、本日は、最新の駒場祭の記事を書きます!
行ってみますと、まず、井の頭線の急行が、駒場東大前の駅で停車しました。駒場祭が行われているからだそうです。われわれのころ、そんなことはあったかな・・・と思いながら、駒場東大前の駅を降りました。
駒場の駅を降りて、東大駒場キャンパスを見たところです。すごい人出で、混雑しています!われわれのころ、駒場祭はこんなに混雑していたであろうか!

これは、1号館です。東大オケの駒場祭特別演奏会の会場となる、900番教室の前も見てみました。駒場祭特別演奏会は午後3時半からで、その前は、堀江貴文さんの講演会であるようでした。
1号館の正面から、図書館の前を通り、生協のほうへ向かいました。すごい人出です!たくさんの屋台が並び、極めてにぎやかでした。元気な東大生が、がんばって屋台をやっておられます。お昼前に着きましたので、適当にどこかのクラスが出しているものと思われる、牛串を頼んで食べました。おいしかったです。そこから、私は行ってみたいところがあったのです。駒場キャンパスの近くには「駒場公園」という穴場スポットがあるのです。庭園のような、長方形の公園です。私は現役時代、よく生協で400円の弁当を買ったのち、駒場公園に行って食べたものです。1号館から見て生協のほうの逆のほうにあります。果たして、20年前と変わらず、駒場公園はあるのであろうか。記憶にある道をたどっていきます。だんだん道が細くなっていきました。とてもにぎやかな駒場キャンパスのはじっこのほうに来て、どんどん人も少なくなってきました。少し迷いながら細い道をたどっていくと、なんと、駒場公園はありました!しかも、いまだに穴場スポットです!

このように、この日は雲一つない快晴で、極めて気分がいいのでした。この駒場公園は、梅の花が見事で、このたびは梅の花の季節ではありませんでしたが、非常に気分がよかったです。この公園は、梅の花の季節でも穴場です。この日も、来ていたのは、駒場祭と関係のないと思われる、ご近所さんらしい親子だけでした。
そこを出て、「駒場野公園」というところに行きました。駒場公園と似た名前の公園ですが、駒場野公園は、目黒区立と書いてあって、もっとずっと普通の東京の公園です。以前は野良猫がたくさんいました。ここもたんのうしました。大学院生のころ、考え事をしながらこのへんを歩いていますと、近くにある大学入試センターにたどりついてしまったりしたものです。(大学入試センターとは、大学入試センター試験を作っているところです。このあたりにあるのです。)この日は大学入試センターまで行かず、当時の東大生が「駒下」と呼んでいた、学生向けの食堂がたくさんあるところに行きました。日曜日であったためか、あまりやっていません。30年前の当時から、見たことのある食堂を見て懐かしくなりましたが、この日はやっていませんでした。そこで、また東大数理の近くの踏切を渡って再び生協のほうへ行き、屋台で昼食とすることにしました。まず、ロシア語クラス(東大の教養学部は、語学選択でクラスが決まっていました。私は当時、ドイツ語選択でした)の出し物と思われる「ガガーリン焼き」という、青いたこ焼きを食べました。これもおいしかったです。そして、先ほどの牛串の屋台で順番待ちをしているときに、わりと閑散としていてちょっとかわいそうだった、これもロシア語クラスの、2023年入学生と書いてあるので2年生と思われるクラスの屋台で、「シチー」というロシアのスープをいただき、これで昼食といたしました。シチーもおいしかったです。
ここで、駒場祭特別演奏会まであと1時間強ありましたので、考えを巡らし、付近の散歩に行きました。学部3年のとき、理学部数学科の授業を受けて、午前中は講義、午後は演習という日々、午前は河東先生のルベーグ積分の授業を聴いたり、松本幸夫先生の多様体の授業を聴いたりして、1時間の昼休み、当時、発売から間もなかったと思われる、アイスクリームのスーパーカップ超バニラを食べ、駒場周辺を時計回りに散策していたのです。1997年の夏学期のことになります。その道を思い出しながら歩きました。すっかり風景は変わっていましたが、さすがに道は変わっておらず、迷わずに散策ができました。午前中の授業の内容をはんすうしつつ、午後の演習の授業を迎えたものです。それで、駒場東大前の駅の、反対側に着きました。このへんの風景も懐かしいものです。それで、また900番教室に行ってみますと、駒場祭特別演奏会で、長蛇の列ができています!最後尾の学生さん(東大オケの1年生でしょう)が、入りきらない可能性があると叫んでおられ、私はこの演奏会を聴くことをあきらめました。疲れているのに、立ち見で見るのはちょっと・・・と思ったのです。900番教室の写真は以下です。

プログラムは以下でした。
ヴェルディ 「ナブッコ」序曲
ブラームス 悲劇的序曲
シューマン 交響曲第1番変ロ長調「春」
このうち、ヴェルディとブラームスは、いずれも1995年、19歳のときに、この東大オケで真剣にやった2曲で、極めて懐かしいものです。ヴェルディはサマーコンサートで、ブラームスはまさにこの駒場祭でやりました。指揮者も当時と変わらず河原哲也先生でしたが、これを聴くのをやめました。
(大学院生であったころの日記を見ますと、東大数理の院で勉強をしながら、オケや吹奏楽の本番があるごとに音楽を聴きに行って、勉強のはざまに音楽を聴いているというか、音楽のはざまに勉強しているというか、と書いてあります。そこからしても、当時はそんなに並ばなかったと言いますか、そんなに駒場祭は混んでいなかったことになります。)
そこで、思ったより時間がまたあるわけです。それで、また考え、駒場から渋谷へ歩いてみることにしました。これも当時、よく歩いた道です。その前に、学生会館に入ってみました。ここに当時、東大オケの部室があったわけです。入ってみますと、懐かしのゲスプリンターがいまもありました。携帯電話やインターネットの珍しかった当時、資料はすべて紙媒体であり、この学生会館のゲスプリンターで印刷した冊子がたくさん出回っていたものです。部室に行こうと思いましたが、当時といまとでだいぶ違うようでした。3階の奥だったのですが、いまも覚えている東大オケの部室の部屋番号とは違う番号になっており、見たところオケの部室でもなさそうでした。(東大オケはまさに駒場祭の本番中であったことになります。)
それで、改めて、駒裏と皆さんが呼んでいた方面から、渋谷へ歩いて行くことにしました。右手が渋谷、左手がNHKホールの方面です。当時、NHKホールでは、N響の定期演奏会が行われており、学生席は1,500円であり、しかも必ず当日券があり、こうしてよく学校の帰りにN響定期公演を聴いたものです。それはともかく、右手に向かって行きました。松濤という高級住宅街があります。松濤公園という、当時、よく通った公園も通りました。なかを歩いていると、りすみたいなのが走って行きました。よく見ると、大きなねずみでした。池にはかもがいました。水車小屋があるのですが、まわっていませんでした(私の学生時代はまわっていたような気もします)。子供たちが遊んでいました。松濤公園付近でキッズホンを拾いました。交番に届けようと思いました。学生時代、このあたりで定期券を拾ったことがあることを思い出しました。しかし、そのころは、現代のようにスマホの発達した時代ではなく、渋谷で交番を探すのにとても苦労したことを思い出しました。しかし、現代はスマホがありますので、スマホで調べると、松濤公園から400メートルのところに交番があることがわかりました。行ってみると、道玄坂にある交番でした。道玄坂は、学生時代、よく渋谷駅からヤマハに楽譜を買いに行くとき歩きました。そこから、センター街の入り口を見て、ハチ公を見て、帰って参りました。
最大の収穫はやはり、駒場公園という、穴場スポットがいまでもあり、しかも、いまも穴場であることでした。20年ぶりに駒場祭に行きました!楽しい半日でした!