夏休みが倍になったら嬉しさが倍

ある中学生の生徒さんと、比例の話をしていました。比例の身近な例を挙げていただこうと思い、倍になったら倍になるものをあげていただきました。そのお子さんは「夏休みが倍になったら嬉しさが倍」とおっしゃいました。素敵な比例の例です。人生を楽しんでいる人のお答えです。
ポケットのなかには ビスケットがひとつ
ポケットをたたくと ビスケットはふたつ
もひとつたたくと ビスケットはみっつ
たたいてみるたび ビスケットはふえる
そんなふしぎな ポケットがほしい
という童謡があります(「ふしぎなポケット」まど・みちお作詞、渡辺茂作曲)。これも、ビスケットが倍になったら嬉しさが倍になるのでなければ、意味をなしません。ポケットをたたけばたたくほどビスケットが増えるのは、むしのよい話ですが、そのいい意味でのむしのよさを歌った歌がこの「ふしぎなポケット」という童謡でした。
年収が倍になると、嬉しさは倍になるのでしょうか。私の経験では、勤めていて収入があったころに比べて、私の収入はずっと減っていますが、嬉しさは逆に何倍にもなっています。向いていない仕事をしていたころとは比較にならぬほど幸せになれています。よく聞く話は、年収が1000万から2000万になっても嬉しさは倍にならないらしいことです。改めて最初の「夏休みが倍になったら嬉しさが倍」というのは名言であったと言うべきであると気づかされます。
聖書には、5個のパンで五千人がおなかいっぱいになった話が載っています。これは何倍になったのでしょうか。私の友人が概算しました。聖書には「男五千人」と書いてあるので、女性も含めて一万人はいたと考え、だいたい両国国技館の満員御礼が一万人であると調べてくれました。私も小さいころ、両国国技館で相撲を見たことがあります。あれが一万人か!5個のパンで一万人が満腹する話は、ビスケットの歌に連なる、極めて「むしのいい」話でした。どれほどの人が幸せになったことでしょうか。
自分の心のなかにある「嬉しさ」を基準にして生きていきたいです。ものの量でもなく、金銭でもなく、生きていて嬉しいと思えることを追求して、残りの人生を歩んで行きたいです。生徒の皆さんから学ぶことばかりです。
(出てくる生徒さんおよび親御さんにはエピソードの使用の許可をいただいています。)