大人の「お店屋さんごっこ」バザー

小さい子供の遊びで「お店屋さんごっこ」というものがあります。最近、自分の学生時代の日記を読み返してみて「これは大人の『お店屋さんごっこ』だ」と気づかされるものがありました。「バザー」です。とくに教会のバザーです。

過去の日記を見ると、私は1998年も1999年も、11月の教会バザーでは、たこ焼きの屋台をやっているようです。当時の私は大学院生で、ぴんと来ませんでした。しかし、だんだん分かって参りました。多くの人は、自分の仕事以外の仕事をする機会というのは、基本的にないわけです。会社に勤めている人は、会社員以外の仕事をする機会は、ふだんありません。ところが、バザーだと、1日だけ、屋台のたこ焼き屋さんになれるのです!ほかにも屋台は、焼きそばもあり、お好み焼きもあり、おでんもありました。(そもそもおでんとは田楽であり、農作業と楽しみをミックスした行事ではなかったでしょうか。)ふだんやっている仕事以外の仕事ができちゃう!

ほかにも、喫茶店もありましたね。お客さんに注文を聞いて、コーヒーを出し、ケーキを出す。ケーキを作る担当の人もいます。普段は会社員、主婦、その他、それ以外の仕事をする機会のない人が、1日だけ喫茶店をやれるのです。これがバザーでありました。大人の「お店屋さんごっこ」。なるほど、収益も確かにありますが、収益以上にバザーが盛り上がるのは、このためであったか!

もともと、教会というのは「寄り合い」としての意味合いの大きなものです。サードプレイスとも言います(自宅でも職場でもないところ)。「神様を賛美しましょう」というのが建前ですが、皆さん自宅でも学校でも会社でもないところに行きたいのでしょう。教会のなかでも「青年会」「婦人会」「聖歌隊」「読書会」「受付係」など、いろいろな役割があって、皆さんそれを楽しんでおられるのでした。私は市民オーケストラ、市民吹奏楽団にいたこともあります。それも「音楽を楽しみましょう」というのが建前ですが、おそらく「寄り合い」としての役割を果たしていたでしょうね。

よくお坊さんが言います。供養とは、何回忌をやることよりも、いかなるお供えをすることよりも、子孫が楽しく暮らしていることだと。それがご先祖様の最も喜ばれることだと、しばしばそのようなお坊さんの話を聞きます。私もそう思います。おそらく、教会でいかなる礼拝をすることよりも、皆さん楽しく人生を過ごしていることを、イエスさまは喜んでおられるのでしょう。その一環として、年に一度の「お店屋さんごっこ」もあるのだと気が付いた次第です。

私は、リアルの教会から離れてだいぶたちます。しかし、その意味での信仰心はあります。そういう(リアルの教会から離れていて、信仰心はある)クリスチャンは多いと聞きます。それでいいと思います。過去の日記を読んでいて気付いた、「バザーの果たしている役割」の意味のお話でした。本日はこのへんまでです。それではまた!

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