大学院入試合格直後の演奏会

以下はまたクラシック音楽オタク話になります。それでもお読みくださるかたはどうぞお読みください。ご興味のない話題でしたら、どうぞ他の記事をお読みくださいね。当教室のブログ記事で、このような純粋なオタク話の記事のほうが珍しいと思います。(そうでもないか。私の記事はすべてオタク記事か。)
これは1998年9月18日のことになります。大学院入試を終え、合格の知らせを聞いたのがその4日前の9月14日と日記には書いてあります。友人に受かった知らせをしたりする自分の姿が日記に記されています。そのころ、ある東大オケ時代の仲間と、マレク・ヤノフスキという指揮者の、シューマンの交響曲やブラームスの交響曲のCD(当時はインターネットも携帯電話もほとんどなく、もちろんSNSはなく、メールアドレスを持っている人も少数派だった時代です)を聴いて喜んでいました。オケはロイヤル・リヴァプール・フィルでした。ラジオでヤノフスキ指揮フランス放送フィルのシューマンの「ライン」を聴いたのはいつだったでしょうか、それもすばらしかったです。その友人はルーセルが好きで、とくにヤノフスキの指揮するルーセルの交響曲全集のCDが好きだったのです。私も彼に触発されて、当時、ずいぶんルーセルの曲は聴いたものです。その、ヤノフスキが日本に来て、N響(NHK交響楽団)を指揮してブラームスの交響曲第2番をやる、という話で、ぜひ行こう、ということになったのでした。
ずっとのち、2006年にある地方都市に来て気付いたのですが、N響は地方でも有名でした。それはひとえにN響がNHKのオケであり、そのほとんどの(すべての?)定期演奏会は全国放送されているからなのでした。しかし、少なくとも東京に住む限りにおいて、N響は東京にたくさんあるプロのオーケストラの1つでした。そして、私が東京時代に最も多く聴いたプロのオーケストラはN響だと思います。はっきりした理由としては、この日の演奏会もそうですが、NHKホールでの圧倒的な学生席の安さ、それからNHKホールの立地があります。NHKホールにおけるN響定期公演は、学生1,500円でした(一般でも少し席が悪くなりますが1,500円でした)。そして、NHKホールは渋谷にあり、東大の駒場キャンパスから歩いて帰る途中にあるのでした。そのうえ、N響定期公演は、いつ行っても当日券があるのでした。以上の理由によって、われわれはかなり気軽にNHKホールにおけるN響定期公演が聴けたのでした。
そのころ私は25歳の大病より前で(なにしろ院試に受かったころです。22歳)、楽器もへたになっておらず、また睡眠障害もないのでした。前日から別の東大オケの友人の家に泊まり、当日は東大オケの練習場でいっしょに楽器で遊んでいます。そして、夜はそのルーセル好きの友人とともにNHKホールへ。
演奏会前にN響の皆さんによる室内楽がありました。この日はロッラのヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲であったと日記には書いてあります。覚えていません。
プログラムは、
バッハ=ウェーベルン 「リチェルカータ」
モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調(ソロ:ザビーネ・マイヤー)
ブラームス 交響曲第2番ニ長調
でした。
バッハ=ウェーベルンは、バッハの「音楽のささげもの」に出てくる6声のリチェルカーレという、楽譜を見ると目がくらむばかりのテクニカルな作曲技巧が凝らされた曲の、ウェーベルンによる管弦楽編曲版です。この曲を、私がプロの生演奏で聴いた唯一の機会です(これより前、アマチュアオケで1回、聴いたことがあります)。終わったあと、近くに座っていた若い女性たちが興奮気味でしたが、よほどこの曲がお好きなのでしょうか。
2曲目は、モーツァルトのクラリネット協奏曲でした。ソロのザビーネ・マイヤーは「バセット・クラリネット」という長い楽器を使っていました。本来、この曲が想定している低い音も出せる楽器で演奏したということでしょう。クラリネットの人というのは、木管楽器のなかでも見た目がおもしろい楽器だと私は思っていました。楽器をぐるぐる回しながら吹く友人、楽器は動かさないものの顔が百面相になる友人…。ザビーネ・マイヤーさんは、30分間、舞台をうろうろしながら楽器を吹いておられました。東大オケには「卒業演奏会」という、4年間、在籍した先輩をソリストにして、在校生がオケで初見大会しながら協奏曲を演奏するという内輪の大会がありましたが、私はこの曲は、卒業する先輩をソロとしてオケで吹いたこともあり(そのとき指揮した先輩は、いまあるプロオケの奏者になっておられます)、また、うまかった同輩のソロで聴いたこともあります。いい曲ですよね。これも、この曲をプロの演奏で聴いた唯一の機会ではないかと思います。
後半のブラームスの交響曲第2番は、期待を裏切らないすばらしい演奏でした。ちょっと記憶に残っていることを書きます。そのときの1番フルートは、故・中野富雄さんでしたが、第2楽章で以下の楽譜のようなミスを犯したのです。ようするにシャープが5つもあるので、うっかりつけ忘れて、あわててつけた状態なのですが。

中野さんは非常にうまいかたであられました。私の先生も中野さんのうまさは評価していました。私の知るあるプロのフルートの先生は、中野さんと親しかったようでした。中野さんは若くして亡くなられたと思います。この「ブラ2」は、いまのところプロの演奏は、2回、聴いており、あと1回はこれよりあと、外山雄三さん指揮の同じくN響でした。そのときもフルートは中野さんでした。(「ブラ2」は、アマチュアオケでは数えきれないくらいの回数、聴いていますけれども。)
帰りにその友人とシェーキーズでピザを食べて満足したと書いてあります。日記を見ると、いかにも楽しそうな学生生活ですね。院試に合格したばかりですしね!