大学院生時代「はじき」に頼った経験、およびペットボトルキャップを500回投げた話

「最近、小学生に『2時間で60キロ走ったら、時速何キロで走ったでしょうか』って聞いたら『はじきにあてはめないとわからない』って言うの!」という話を聞いたのがもう20年以上前でしょうか。「はじき」とは以下の図のような「公式」で、「速さ」と「時間」と「距離」を意味するもののようです。「速さ」を隠すと、「距離」÷「時間」を計算すればよいことがわかるというものです。

しかし、私は、東大の大学院生時代に、「はじき」に頼ったことがあります。

いま思えば発達障害の二次障害の精神障害で、数学者の道を断たれ、これもやはり20年くらい前に、中高の数学の教員になるべく就職活動をしていたころ、中高の数学など忘れていてあちこち受けては落ちていて、ある採用試験で「道のり」「時間」「速さ」のややこしい問題が出て思わず「はじき」に頼ったのです。

上に書きましたように、「はじき」に頼るお子さんを悪いことのように言う言いかたがある一方で、この手の「思考停止」は世の中にたくさんあります。数学で言いますと、「二次方程式の解の公式」は、丸暗記して使うしかありません。(多くのかたは${x=\frac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}}$って覚えたことありますでしょう。これ、使うたびにいちいち導出したりはしないものですよね。)

私は大学院時代に位相幾何学を専門としていましたが、低次元では「位相同型」と「微分位相同型」の違いを区別しなくていいのでした。その証明はなぞったことがあるはずですが、普段は意識せずにその事実を使っていたことは白状せざるを得ません。

さらに申しますと、多くの皆さんは小学2年生で「九九」を覚えたと思います。九九は、いちいち計算しなくてもたとえば「七九63」と答えが出るものです。これも過去に覚えた自分の記憶に頼っているものです。

このほか、われわれはエクセルの計算に頼り、電卓の計算に頼り、筆算を使うにしても筆算の手順を信じています。トイレに入れば流れると(無意識的に)信じ、ごみを出せば回収してくれると信じ、水道からは水が出ると信じています。東京で新幹線に乗れば自動的に博多に着くと信じています。織田信長は実在したと信じています。弥生時代の前に縄文時代があったと信じています。元日から地震が起きるとは思っていませんでした。すべて、信じて(頼って)いるだけなのですが、普段は無自覚です。

ところで、それとは対照的な話をいたしますね。

先日、私は、中学1年生の数学の教科書に載っている、確率の問題で、ペットボトルのキャップを500回投げて、どれだけ表向きが出るか、試してみなさいという問いを実際にやってみました。

(表向きとは以下のような状態です。)

50回投げると表向きは7回出て相対度数は0.14となり、100回投げると表向きは12回出て相対度数は0.12、それで500回投げると表向きは93回出て、相対度数は0.19でした。だいたい表が出る確率は0.19なのですね(意外と少ない!)。これはコンピュータによるシミュレーションなどをせず、実際にやってみました。たまには人に頼らず自分でやってみるのもいいものです。それでも無自覚的に誰かに頼っていますけどね。

確かに2時間で60キロ走ったら、時速30キロだというのは、「はじき」に当てはめなくても計算できるものでしょう。しかし、世の中にたくさんある(九九も含めて)「公式」、いちいち考えなくてもすむ工夫というものは、決してあなどれないと思うのです。

目次