愛とは賢さであるⅡ「親切なスマホ屋さん」

昨年(2023年)9月に、スマホを乗り換えました。ところが、引き続き使い続けるアンドロイドの、シムトレイと言われるものが壊れてしまい、私はその月の15日くらいに、もとのスマホ会社のスマホ屋さんに行き、代替機に乗り換えさせていただくことになりました。そのときの店員さんが、非常に賢かったのです。いまでもありがたい店員さんだったと思い、その半年以上前の話を書こうとしています。
その店員さんは、ぱっと見た感じは、冷たそうな女性でした。しかし、実は非常に賢いことが明らかになっていきました。スマホというのは、少しだけですが障害者割引があります。したがって机上には障害者手帳が出してあるのですが、この障害者手帳というものは、しばしば出しておくと「なめられる」ものだということも分かって参りました。障害者だということでなめられるのですね。しかし、この店員さんは「賢い」人でした。私はスマホの操作が苦手な、いわゆる「機械おんち」であることも伝えてありました。ますますなめられそうですが、この店員さんは、以下の3点を理解して話を進めてくださったのでした。
(1)目の前にいる人は障害者である。(2)目の前にいる人は頭がよい。(自分で言ってはしようがなく、「おこがましくてすみません」ということにならざるを得ないのですが、私とのやり取りから、その店員さんは、私が「話せばわかる頭のよい人」であると認識なさったようでした。)(3)目の前にいる人はスマホおんち。(私がスマホの操作が苦手であることを前提としたフォローがありました。)
この3点を目の前の私が満たしていることを理解なさるかたは極めて稀です。障害者だと思った瞬間になめる人も多く、加えて、スマホおんちだということだけでも、なめられることは多いものです。この店員さんは、私が「根本的には賢い」ことを見抜いてくださり、適切な対応をしてくださったのでした。
しかも、そのスマホが、ローンが2024年の5月から急に上がることを教えてくださり、その前に新しいスマホ屋さんで新しい機種を買ったうえで下取りに出すというアドバイスまでくれました。本当に助かっています。
いまから28年前、私は20歳のとき、東大オーケストラでパートリーダーとなり、パートの分担で苦慮していました。曲は3曲、ブラームスの大学祝典序曲、シューベルトの「未完成」、チャイコフスキーの交響曲第4番。私は(愚かにも)「未完成」の1番フルートと、チャイコフスキーのピッコロを自分に割り振り、未完成のあまりの難しさで東大オケをやめてしまったのでした。これも「愛のある賢さ」のある人が考えれば、私は大学祝典序曲のピッコロとチャイコフスキーのピッコロだけ乗り、同輩のうまい人に全曲の1番を吹いてもらい、2人いた後輩にそれぞれ2番を吹いてもらえばよい、ということに気づいたかもしれません。こういうアイデアを出すのは「賢い人」であり「愛のある人」です。
こういう真の賢さは、AIでは出ないでしょう。先述のスマホ屋さんでも、人をパターン化して認識するだけだと、何億通りを暗記していてもこのような真の賢さ、愛のある賢さは出ません。改めて、愛とは賢さだと思います。
(最後に「愛とは賢さである」の「Ⅰ」の記事のリンクをはりますね。そちらもぜひご覧くださいませ。)
