日本国憲法の単位を落とした話
いままで書いたことのない話を書きます。私は、東大で、教職の単位である日本国憲法の単位を落としているのです。
私は、最初の統合失調症の症状が出るまで、教職の単位には興味を示していませんでした。最初の統合失調症(いま思えば)の症状を出した学部3年生くらいから「数学者になれなかったときの逃げ道」として、教職の単位をそろえはじめました。
私が教育実習に行ったのは修士課程1年のときです。大学院生になってから教育実習に行く人は稀でしょう。しかも、私は実際には教壇に立つまで、もう7年くらいのブランクを経ることになるのでした。
最後までそろわなかった単位は「日本国憲法」2単位でした。そしてどうやら東大では、教養学部(学部1、2年生)で「日本国憲法」の単位をそろえなかった人間は、法学部生に混じって、法学部の「憲法」の単位をそろえねばならないことになるのでした。私は2004年度に、駒場の法学部生(文科一類生?)に混じって、憲法の単位をそろえねばなりませんでした。たいへんでした。長谷部恭男先生の授業を1年間、受講しました。本業の数学の授業を受けながらですからどうしても片手間です。それでもそろえたものでした。「可」かなにかが来ました。やれやれ!私は東大数理の事務で手続きをしました。これで教職の単位はすべてそろったと思いました。
2005年度、私は1年間、就職活動をしました。「教員免許取得見込み」で就職活動を行いました。「博士課程修了見込み」とも書いていました(もっともそれは中高の教員としては不要な学歴でしたが)。ところが、4月も中旬になって、東大数理の窓口から連絡がありました。憲法の単位が足りていないというのです!あせりました。なんで!?1年間、授業を受けて「可」が来ましたよ!じつは、法学部の憲法の授業というのは、あと半年、「統治機構」という授業を受けねばならないのだそうでした。数理の窓口の事務のかたも「あなたのように学部時代から大学院博士課程までかけてちょっとずつ教職の単位をそろえる人は稀だから・・・」と言われました。とりあえず滑り込みで高橋和之先生の「統治機構」の履修の手続きをしました。それに伴い、単位を落とすことを怖れた私は、滑り止めを考えました。教職の単位は、大学の通信で比較的容易に取れることは、ある教会の伝道師から聞いて知っている知識でした。その4月中旬の時点で、その年度までには教員免許が発行されるような単位の出し方をする通信の大学を探しました。ある都心の近くにある大学の通信で、憲法の単位が取れることがわかり、これも滑り込みで申し込みました。
東大の「統治機構」は本郷キャンパスで開講されていました。数理は駒場キャンパスにあります。通う点からして困難でした。法学部を出た仲間から聞くところによると、高橋先生は、典型的な法学部の伝統的なスタイルの授業の先生であるようで、口頭で述べるばかりで、それを法学部の皆さんが必死でノートを取るのでした。とうてい毎週は聴きに行けない私は、就職活動をして落ちまくる日々でもあり、追い込まれていました。
高橋先生の授業の「こつ」をつかもうとして、私はある法学部を出た「落ちこぼれくん」(失礼)のアドバイスを受けようとしました。彼はどうにかして単位をそろえてようやく法学部を卒業したタイプでした(そのころにはとっくに社会人です)。彼に聞くと「おれに聞いてもわからないから」と言って、その仲間に聞いてくれたら、それはある旧帝国大学の法学部助教授となっている仲間へ質問が行ってしまっているのでした!私の友人はみんな優秀すぎて困る!そんなプロフェッショナルの意見を聞いてもしようがない!結局、その助教授の先生の同僚の憲法が専門の先生の「ぼくは高橋先生の憲法の授業を受けたことがないからわからない」という意見が聞けただけでした。
「統治機構」の試験の日が来ました。私は本郷の大教室に行きました。学生証を出していると、隣の法学部生に「すごいところからきていますね」と驚かれました。彼の学生証は「東京大学法学部」私の学生証は「東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程」であり、私は並みの東大生でも驚くくらいの学籍となっていたのでした(この話だけよく書いています。すみません)。そして、試験が開始されました。そのころは、郵政民営化を焦点とした衆議院の解散が話題となっており、そのせいかもしれないとも思いましたが、衆議院の解散などは出なかったのでした。高橋先生の試験は大きな問題がひとつ「三権分立とはなにか。説明せよ」というもの、あと、重箱のすみをつつくような小さな問題がいくつか出ました。私は大きな問題にも答えられず、試験後に教科書を見て、小さな問題もことごとく外したことに気づいて絶望しました。私は高橋先生の統治機構を落としました。これではいくら内定が出ても就職はできない!
そこで、頼みのつなであったのは、その通信の大学の憲法の単位でした。ときどきレポート課題があったうえで(当時は2005年ですよ。オンラインの授業など、ないですよ)、あるとき、キャンパスに行っての筆記試験がありました。恐れるように受けた私は驚きました。レポート問題とまったく同じ問題が出たのです!私はそれを書いて試験を終えました。単位は来ました。これで、私は就職ができたのです。
その大学の先生は、みずから教科書を執筆していました。私はその1年半で、長谷部先生がテキストとしていたいわゆる「芦部憲法」、それから長谷部先生の教科書、高橋先生の教科書、判例百選、そしてこの大学の先生のテキストなど、憲法の教科書を大量に持っていました。みんな最終的には古本屋に売りましたけれども(けっこう高く売れました)。そして、確実に単位が来ることがわかってから、その大学の電話の窓口の人に、2点「苦情」を言いました。その先生はその教科書で、「しかるに」という日本語をなにか違う意味で用いておられること、それから、その大学では「レポートは教科書の丸写しではいけません」と履修の手引きに書いてあったにも関わらず、その先生は「芦部憲法」の「丸写し」が教科書にあったこと、です。それを申し上げてからその大学とはさようならしました。
学籍は放置していたら消滅する、と聞いていましたが、私はちょっとはらはらしていました。あまり長く学籍が続くと、私の最終学歴が「東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程単位取得退学」ではなく、その大学の通信になってしまうのではないか、と思ったからです。この心配を当時の教会の伝道師に言って笑われましたけれども。
東京都で教員免許は発行されました。都庁に取りに行った記憶があります。単位を取得した機関ということで、東京大学(東京大学大学院も?)のほかに、日本国憲法のその通信の大学も含まれていました。間もなく就職した私は、教員免許の写しを学校に提出せねばなりませんでした。みっともなかった私は、その「単位を取得した機関」が教員免許の裏面にしか書いていないことをいいことに、表だけコピーして学校に提出しました。したがって、私の教職の単位がその通信の大学で憲法だけ取った話はこのブログが初出です。
就職して1年くらいは「憲法の単位が足りない」という夢にうなされたものです。
ずっとのち、世間で憲法改正が話題になったことがあります。ちんぷんかんぷんであった私は、弁護士になっている友人に聞き、伊藤真さんの本をすすめられました。同じころ聴いた伊藤さんの講演もあり、私はかなり明解に「憲法」を理解しました。多数派(強者)をけん制して少数派(弱者)の権利や自由を守るものが憲法であったのです。それからしますと、先述の高橋先生の試験「三権分立を説明せよ」という問いも、「憲法とは権力者の権力からわれわれ一般人の権利や自由を守るためのものである。つまり権力をけん制するのが憲法の役割である。そして、権力とは1か所に集中していると腐敗するものであるから、なるべく権力を『わけて』いるものが三権分立である」と答えればよかったのです。これでよかったことはこれよりさらにあと、2019年に再び伊藤さんの講演を聴く機会があったときに、質疑応答のときにこのように質問し、伊藤さんから「たいへんいい質問をいただきました。その通りです」と言われたことからもわかります。私が三権分立以外でこういう例を出したのは「地方自治」でしたが、伊藤さんはそれらに加えて「二院制」も出されました。権力分立というそうです。
というわけで、じつは私は学生時代、東大の憲法の単位は落としていた、という話でした。お粗末さまでした!