「本当の損得勘定」

最近、道を歩いていて、以下のような壁を見つけました。

カフェのようです。「proverbs」という単語に見覚えがあり、しかし意味を思い出せなかった私は、その場で、スマホで調べました。「格言」という意味でした。そうでした!せまい意味で「(旧約聖書の)箴言」という意味なのでした。すなわちこれは「箴言 15章17節」という意味だったのです。

(じょうずですね。見る人が見れば聖書の箇所を表していると分かる壁。)

その場で、箴言15章17節も調べました。以下のような箇所でした。

「肥えた牛を食べて憎み合うよりは 青菜の食事で愛し合う方がよい」。

これはカフェにぴったりですね!

この言葉は、聖書を通読すること17回になる私が、最近ようやく、しみじみと味わうようになった言葉でした。

食事をするからには、仲のいい人とするものです。嫌いな人と食事をしたら、おいしくなくなります。5万円のディナーでも、嫌いな人と行ったら、まずいでしょう。健康にもよくないだろうと思います。健康な食事とは、おいしく食べることだと思わされます。親しい人と食べるとおいしいです。

というような意味の言葉だと思われます。

さらにこれを敷衍することができます。高い学歴を持って、たくさんの収入を得ていても、不幸せだったら意味がありません。どれだけ貧乏でも、幸せなほうがいいのです。

お金がないことも不幸ですが、お金を持っていても幸せになれない人は、もっと不幸です。

というようなことが言いたい言葉だと、ようやく分かってきたのです。「本当の損得勘定」です。

損得勘定とは、しばしば悪い意味に使われる言葉です。「善悪ではなく損得で判断する」というような場合の「損得」は、悪い意味です。しかし、「真の損得勘定」が存在するのです。以下のような聖書の言葉に象徴されます。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」。(マルコによる福音書8章36節)

ここに「得」という言葉が使われていますが、これが真の損得勘定です。たとえば、私はいま、パソコンを使ってこれを書いていますが、しばしばパソコンの寿命が気になります。本日も、朝からパソコンを使っており、そろそろ再起動したほうがいいのかな・・等と思っております。しかし、私はもしかしたら、たくさんの精神科の薬を飲み、自分自身の寿命を縮めているのかもしれないのです。パソコンの寿命を伸ばして、自分の寿命を縮めていたら意味がありません。こういった、人間が本当の賢さを発揮する場面で、「本当の損得勘定」が出て来ます。

カフェの壁に書いてあった言葉は、まさに「真の損得勘定」を意味していました。わかっていてもつい忘れてしまう、人生の真理でした。

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