東大オーケストラの函館公演を聴いた日(1997年8月7日)

私は1994年に東大に入り、東大オーケストラ(東京大学音楽部管弦楽団)に入りましたが、3年生の4月で辞めてしまいました。負担が大きすぎたのです。それから私は統合失調症の最初の症状を出し、学業を1年休み、1997年度から2回目の学部3年生をやりました。ある社会人オケで音楽活動も再開しました。これは、その夏、東大オケの仲間たちによるサマーコンサートのツアーを「追いかけた」日の話です。同輩の多くは大学4年生となっており、オケの最高学年でした。私も1996年4月に突如として東大オケを辞めて1年以上がたち、仲間ともすっかり仲直りができていたのでした。この年の夏、東大オケは、東日本方面へツアーに行きました。私は7月18日に新宿公演を聴いたのち、北海道へ旅行し、函館公演(8月7日)と札幌公演(最終日、8月9日)を聴いたのでした。青春18きっぷと、ユースホステルでの一人旅でした。このうち本日は、函館での話を、当時の日記から書きたいと思います。

前の日に寝台列車で行き、当日の早朝、函館に着きました。朝の6時34分に着いたと日記に書いてあります。当時は25歳の大病より前であり、睡眠障害などないのでした。なにも調べて行きませんでしたが、着いたのが早朝、演奏会が夜。まる一日、函館の町を歩き、一日で「函館名所案内」ができるようになるくらいに函館を満喫したのでした。

1時間くらい駅周辺で散歩をしました。少し朝市を見ました。市電で「十字街」で降りて、歩いて山のほうへ行きました。カトリック教会、ヨハネ教会、ハリストス教会を見ました。(当時、私はまだキリスト教の信者ではなく、ほとんど教会にも行っていない時代です。)「ちゃちゃ登り」という坂からの眺めがよい、と日記には書いてあります。そのあと、護国神社の鳥居を見、石川啄木の碑のある函館公園など見ました。天気がよくて気持ちがよかったです。ロープウェーは9時からで、9時になってから、ロープウェーで登りました。「頂上の景色はすばらしい。函館市を一望でき、その向こうの山々、津軽海峡の向こうの青森、函館港の船、とにかく、晴れていて、すばらしい眺めだった」と日記に書いてあります。1時間くらいいて、降りて来ました。ハリストス教会に入ってみました。これもよく覚えています。独特の雰囲気に魅せられて、かなり長く滞在したのです。それから、五稜郭に行く市電のなかで、夜のホールである市民会館が、五稜郭よりも先であることを認識し、少し計画を考え直したりしています。五稜郭に行きました。タワーは混んでいて行きませんでした。「まず、一周してみる。ここは、人は、いるところにしかいないらしい。ほとんど私一人(と、堀でボートをこいでいるカップル)しかおらず、天気よく、美しい木々を独占状態でまわった」と書いてありますが、確かにそうでした。昼食後、1時間くらいかけて市民会館まで歩いて行こうとして、遠すぎて挫折しています。五稜郭もだいぶ勝手がわかってきました。「町のあちこちに、ハトやカラスと同じように、カモメがいるのがおもしろい」と書かれています。海が近いからですね。駅に荷物を預けていたので、市電で駅に行って荷物を取り、再び市電で「宝来町(ほうらいちょう)」で降りてユースホステルに行きました。個室でした(けっこうユースホステルは相部屋のことも多いです)。「多少、雷がゴロゴロ言っていたので、かさを持っていく(結局、降らず)。時間があるので、また山のほうへ。何度もあきらめようかと迷ったのち、上のほうから市内を見て、虹がかかっているのを見れて感動」とあります。よく覚えています。この日、山から虹を見たのです!感動的でした。戦死者の碑とか、外人墓地とか、いろいろ見ています。太陽が雲からもれてとても美しいのも見ました。ちょうどあじさいがきれいでした。函館では8月にあじさいが咲くことにも感動しました。夜になり、演奏会を聴くために、市民会館に行きました。市電はほぼ全部に乗りました。演奏会のプログラムは以下です。

ドヴォルザーク 「謝肉祭」序曲

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

ブラームス 交響曲第1番ハ短調

三石精一 指揮

チケットが残っています。以下です。

前の年に卒団した、1個上の先輩(その多くは大学院修士課程1年であったと思います)の追っかけ8人組の皆さんと一緒になりました。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲など3曲でした。じつは東大オケはツアーの際、別の指揮者(田代俊文先生)で、「音楽教室」と言われる小学校まわりもしており、そのプログラムは五月祭と同じなのですが、しばしばこの三石先生の指揮するサマーコンサートのアンコールとして、音楽教室の出し物が使われたのでした。この日もそうでした。終演後、同輩とも会いました。

そして、演奏会後、その追っかけ8人の先輩とともに、タクシーで山へ行きました。頂上までタクシーで行きました。「頂上からの眺めは最高だった。本当にすばらしかった。美しくて雄大で、ためいきつきながら感動するほかなかった。漁火も出ていた」と書かれています。いわゆるかの有名な、函館の夜景を見たわけでした。事前に行って知っていた「穴場」がありました。多くの観光客の皆さんが気が付かない、ほとんどお客さんのいないところを私は事前の「調査」で知っていたのでした。そこに皆さんを連れて行き、感謝されました。記念写真を撮りましたが、残っていない気がします。30分くらいいて帰りました。「晩飯は、ユース近くの『たつみ』で650円のいくら丼。うまかった。また、その店の人がゆかいな人たちで、とても楽しかった。とにかく最高の一日だった」と日記には書かれています。確かにいくら丼は安くておいしかったですね。さすが本場です。

このあと、私は翌日、ニセコに行き、その翌日に札幌における最終公演を聴き、同輩とともに「アフターサマコン」(サマーコンサートの演奏旅行が終了したあと、その地を観光して回ることを東大オケではこう呼んでいました)を楽しむことになるのですが、それは、またいつかお話しするとしまして、本日は、21歳のときの函館の思い出話でした。

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