かつて「東大ノート」という言葉が流行ったことがあります。東大生のノートはとても美しいと主張する本があったのです。「東大に合格した人の高校時代のノート」かな?そのライターさんは東大の人ではなく、そのことに目を付けた最初の人なのでしょう。どんな本であったか、きちんと調べてこの記事を書こうと思い「東大ノート」で検索したところ、すごくたくさんの記事がヒットしてしまいました。私はその本を読んだことはありません。しかし、今でも多くの人が「東大ノート」に興味をお持ちであることがよくわかりました。最初に、私のノートの取りかたの特徴をひとつ書いておきますね。
次の写真のようにノートを使っています。上下を逆に使っているのです。なぜ私がノートを逆さまに使うのか、理由を書きますね。

ノートは通常、上に大きなスペースがあり、下にはあまりスペースがありません。これを逆さまにすると、上のスペースが小さくなり、下のスペースが大きくなります。私は何事も「区切りよく」することができません。「授業の内容を50分ぴったりにおさめる」のは不得意でしたし、「時間ぴったり」というのも苦手だったりします。方向おんちでもありますので、行き慣れていないところには特に、かなりの時間的な余裕を持って行きます(ゆえに時間を持て余すことも多いですが、遅刻よりはましです)。ノートを使うときは、それが授業の黒板を写したものであれ、自分のアイデアをノートに書いているときであれ、ノートのスペースを「効率よく」おさめることは苦手なのです。そこで、区切りの悪いところでノートのページの終わりを迎えてしまうのです。これを防ぐ自分なりの方法がこれでした。つまり、ノートの「ページの終わり」が見えて来たら「改ページ」するわけですが、「そこはとても区切りが悪い」ということになったとき、この「大きめの下のスペース」は役に立ちます。あと数行、書けるのです!これは、ノートを通常の使いかたをするときには1行くらいしかその余裕はないものであり、私にとっては合理的なノートの使いかたでした。あえていうとこれが私の「東大ノート」なのですが、このやりかたをする人は私は自分以外に知らず、これは東大や東大院でも珍しがられたものです。
私は大学院のセミナーでも「ノートかじりつき」型でした。セミナー発表の原稿はすべてノートに書いていくのですが、それをとがめられたことはありません。よく「あまりできない」大学院生が、指導教官の先生から「もう少しノートを見ないで発表するように」と注意されていましたが、それは明らかに「もう少し自分の言葉でしゃべるように」という意味であり、実際、ノートかじりつき型だった私は、それで大学院のセミナーで注意されたことはないのでした。(それにしても、その「あまりできない」学生さんも、東大院生であり、しかも「東大数理」という難関をくぐりぬけてきたはずの「優秀な」学生さんのはずですが、それでも「あまりできない」学生さんというのはいたものです。)それが、30歳のときに中高の教員になったとたんに叱られまくりでした。いわく「もっと生徒のほうを見ろ」。これをどれだけ言われたかわかりません。いま考えればこれは障害特性だったのであり、だいたい「黒板に字を書きながらどうやって生徒のほうを見るのか」と途方に暮れるばかりでした。
学生時代に読んだ湯川秀樹さんのエピソードを思い出しました。アメリカ時代の学生さんの回想によると、湯川秀樹さんは「ひたすら黒板のほうを向き、ものすごく小さな声でしゃべりながら、ものすごく小さな字を黒板に書き、しかもその字を自分の背中で隠しながらしゃべっており、だんだん湯川さんが右にずれていくと、さっき湯川さんが書いていたことが見えて来るので、学生はそれで必死にノートを取った」そうです。湯川秀樹さん、もしうちの学校だったら、学年主任や教頭から叱られまくりだぞ…。そして、職員室では、たまに湯川秀樹さんのエッセイのすばらしさについて得々と語る国語教員がいたりして、私は何とも言えない複雑な気持ちになるのでした。
私は学生時代、オーケストラでフルートとピッコロを吹いていました。指揮者の外山雄三(とやま・ゆうぞう)さんの辣腕さについてはレッスンの先生から聞いており、実際に、1996年に生演奏(仙台フィルの東京公演)を聴いて以来の外山雄三ファンです。茂木大輔(もぎ・だいすけ)さんという、N響(NHK交響楽団)で長いことオーボエを吹いていた文才のあるかたの書いた『交響録』というご自身の体験なさった名指揮者の思い出を書いた本があるのですが、N響の正指揮者である外山雄三さんについても書いてありました。とても好意的に書いてあります。その本のレビューで「外山雄三はただ楽譜にかじりつきで棒を上下に動かすだけの人だと思っていたが、そんなに優秀な人なのか」と書いている人がいましたが、要するに外山さんは「耳で指揮をする」タイプなのです。私のフルートの先生もやはり外山さんは非常に優れた指揮者であったと言っています(「耳が良い」)。もっと派手なパフォーマンスをする指揮者はいますし、二昔くらい前の指揮者は暗譜で指揮する人も多かったものです。私自身も指揮者の経験がありますが、やはりかっこよく棒を振るタイプではなく、完全に「耳で指揮をする」タイプでした。しかし、そんな外山さんも客受けはあまりよくなかったりします。
さて、そんなわけで「ノートかじりつき」で授業をしていた私のノートが逆さまであることに気づく生徒さんもたまにいました。「なんで逆なの?」と、大概は軽蔑した調子で聞かれるのでした。私は事情を説明し「これがほんとうの東大ノートだよ」と言うのですが、真似した生徒さんはついにひとりもいませんでしたね。
「区切り」ということでいえば、次のような会話を思い出します。職員室での学年主任と教頭の会話です。2人ともクリスチャンであり、2人ともあまり教会に行かない「いんちきクリスチャン」でした(それを言えば私もいんちきクリスチャンですが、それは置いておきましょう)。とくに教頭のほうがいんちき度が高いです。「先生って教会に行っているんですか」「ん?節目にはね」「どの節目ですか」「オレの節目」「笑。いいな『オレの節目』って」というような会話でした。「節目」というのはもちろん「イースターやクリスマスなど」という認識でしょうが、その教頭は「オレの節目」と答えました。つまりほとんど行っていないのです。私も集合時間にはなかなかぴったりに着かず、「区切り」よく、効率よく物事をこなせない人間ですが、せめてこの区切りの悪い私のあみだしたノートの使いかたがこの「東大ノート」なのです。「オレの節目」です。