聖心女子大のオーケストラを聴いた(1998年11月29日、1999年5月23日)

これはまた私のクラシック音楽オタク話です。でも、なるべく音楽にご興味のないかたにも楽しんでいただけるように書きたいと思います。これは、学生時代に聖心女子大のオーケストラを2回聴いた感想です。当時のプログラム、日記および鮮烈な記憶から書きたいと思います。

聖心女子大学のオーケストラは、当時、エキストラをおもに東大オケから呼んでいました。当時の仲間の多くが、聖心女子大のオケに乗っていました。それで、仲間の演奏を聴きに、ときどき聖心女子大のオケを聴いていたのです。

最初の機会は、1998年5月24日でした。当時の私は学部4年生で、日記には、学部4年の集大成である、サーストンの本の輪読の様子が書かれています。この日、聖心女子大のオケには、親友も参加しており、多くの人が聖心女子大のオケを聴きに行っています。日記によると、ベートーヴェンのエグモント序曲、シューベルトの「未完成」をやったようですが、私の記憶によると、シューマンの交響曲第4番もやったはずです。しかし、私はこの演奏会に行っていません。この日は、都立大のオケを聴きに行ったのでした。そちらは、中野富雄さん(故人。当時、N響首席フルート奏者)のソロによるモーツァルトのフルート協奏曲第1番の演奏があり、そちらを選んだのでした。(その日のことはかつてブログにしました。最後にリンクをはりますね。)

それで、はじめて聖心女子大のオケを聴いたのが、同年(1998年)の11月29日のことになります。そのころは、やはり学部4年ですが、大学院入試の終わったあとのことになります。教会にもデビューしています。その日は、日曜日でした。朝から教会に行っています。礼拝後、寮に戻って食事をしたのち、広尾に向かっています。たくさんの友人、仲間に出会っています。演奏にも、たくさんの仲間が賛助で乗っています。プログラムは以下でした。

シベリウス フィンランディア

ビゼー 「アルルの女」第2組曲

ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調「新世界より」

日記には「なかなか、ほのぼのした感じのオケで、とてもよかった。初めて聴いた」と記されています。女子大のオケを聴いた最初の機会となります。独特の「ほのぼのした」響きのするオーケストラでした。これよりのち、女子学院のオケを、2003年4月26日と2004年5月22日の、これも2回、聴いていますが、同じ女子校のオケとはいえ、女子学院は中高のオケであることもあるのか、聖心女子大のオケとはだいぶ違う響きがしました。ずっとのち、2009年ごろにある教育大のオケを聴いたとき、聖心女子大のオケの響きを思い出した、ということがあります。それはともかく、とてもいい感じを持ったことは確かです。(女子学院のオケを聴いた話もブログにしたこともあります。それも最後にリンクをはりますね。)

これらの3曲も、いろいろ思い出がありますが、ひとつ、書きます。新世界のチューバは、非常に出番が少ないことで有名です。この日も、東大オケの先輩が、チューバを担当されていましたが、ほとんどの時間は吹いておられません。終演後、隣で聴いていたご婦人が「あのチューバのかたは吹いておられましたか」とおたずねになりました。それくらい、「新世界より」のチューバは、出番が少ないです。しかし、このように隣で聴いておられたかたからご質問をお受けするのは初めての経験でした。唯一の経験でしょう。

この「新世界」でかの有名なイングリッシュホルンのソロを吹いたのも東大オケの友人です。彼は、同じタイミングで清泉女子大のオケのエキストラにも誘われ、そちらも「新世界」のイングリッシュホルンのソロでの依頼であり、迷ったうえで、片方(こちらの聖心女子大)にしたと言っていました。彼は非常にうまくてひっぱりだこだったのです。この日もすばらしいソロを披露していました。

そのつぎの機会、おそらく聖心女子大のオケを聴いた最後の機会が、1999年5月23日のことになります。翌年であり、私は大学院修士課程の1年になっていました。日記には、そのころ行くことになっていた教育実習の話が書いてあります。教育実習に大学院生になってから行く人は珍しかったと思います。いつか教育実習の話も書きたいです。それで、この日も日曜日であり、教会の礼拝に出てから、東西線と日比谷線を乗り継いで、聴きに行きました。プログラムは以下です。

ベートーヴェン 「フィデリオ」序曲

ハイドン 交響曲第100番ト長調「軍隊」

モーツァルト 交響曲第35番ニ長調「ハフナー」

少し遅刻して、フィデリオ序曲の途中くらいに到着しました。(アマチュア・オーケストラは、しばしば1曲目に遅刻することが致命的である場合がありました。招待してくれた友人が、1曲目しか出番のない場合があり、その場合は、その友人の半年なり1年なりの練習の成果をまるまる聴き逃すことを意味したからです。)この日も、たくさんの仲間が出演しており、また、客席にたくさんの仲間がいました。アンコールはヨハン・シュトラウスの「春の声」でした。

この日もよく覚えています。ハイドンの「軍隊」は有名な曲ですが、私が生で聴いた唯一の機会になると思います。第2楽章の有名なトランペットの箇所も、東大オケのエキストラの仲間が吹きました。全体的に、弦楽器にたくさんの本来の聖心女子大の学生さんがおられ、おもに管楽器、とくに金管楽器などに東大オケからの賛助出演があったと記憶しています。

この日も、聖心女子大の独特の「ほのぼのした」響きの演奏を聴いています。指揮の先生も意図的にかなりゆっくりしたテンポを取っておられ、弦楽器には、なかなかハイドンやモーツァルトの交響曲で見ないほどたくさんの皆さんが乗っておられました。アマチュア・オーケストラを聴く楽しみのひとつは、こういう、プロではなかなか聴けない演奏が聴けることにもあります。とても印象に残る演奏会でした。

聖心女子大のオケを聴いたのはこの2回ですべてだと思います。いま、検索すると、このときから四半世紀が過ぎる現在も、聖心女子大のオケは健在であるようです。このとき学生さんだった皆さんも、私とだいたい同じ年代なら、40代半ばか後半くらいにはなられるのかもしれません。

この日は、これから自分のオケの練習だという親友もおり、私はせっかくなので、有栖川公園を散歩し、友人と別れました。そのあと、時間がかなりあり、銀座でうろちょろして、そのあと帰ったと日記には書いてあります。先述の通り、このころは修士課程1年として研究のスタートであり、間もなく教育実習に行くタイミングでした。充実した日々でした。

最後に、1998年5月24日の都立大オケの記事と、2003年4月26日と2004年5月22日の女子学院のオケの記事のリンクをはりますね。

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