茂木大輔さんという指揮者でオーボエ奏者のかたがおられます。文才がおありになり、たくさんのたのしい本を書いておられます。以下のような本があります。
決定版-オーケストラ楽器別人間学 (中公文庫) | 茂木 大輔 |本 | 通販 | Amazon
確かに、オーケストラでやる楽器とそのやる人の傾向には相関がある!というのは、オーケストラおよび中学や高校で吹奏楽部だった人(それは相当数にのぼる人数だと思います)はとくにお感じになることだと思います。みんなと同じようにずっとヴァイオリンを弾いている人と、ここぞというところでシンバルを鳴らす人は、おのずと性格が異なりそうです。
しかし、私は茂木さんが気づいていなかった点に気づいています。それは、中高の教員時代にオーケストラ部の生徒さんを見ていて思ったことです。皆さん、自分の楽器と出会うのは偶然です。しかし、自分のキャラにあっている楽器に当たった人が、長続きするのです。趣味で続ける人にせよ、プロになってしまう人にせよ、そうです。
前に「やりたいものではなく向いているものをしましょう」という記事を書きました。この原稿を書いている現在はまだ予約投稿されていないと思います。この「向いているもの」というのは、自分だけで決まるわけではありません。大きくみて「世間のニーズ」という面と「他者との比較」という面があります。
まず「世間のニーズ」から見ましょう。私がもし平安時代の農民に生まれていたら、採譜も校正も数学も、おそらくは活かされなかったのです。ダメな人で終わっていたかもしれません。いや、現代を生きていても、ほんの半年前の私は、社会の失敗者であるとしか言いようのない状態でした。いまでも成功者と言えるわけではありませんが…。現代でも活かされない才能を持った人はおいでになると思います。「お花とお話しできます」というのはなかなか素敵な才能ですが、現代社会で活かされない能力だと思います。
それから「他者との比較」という点から見てみましょう。私は、自分の感覚としては、採譜はノロノロやっています。学校の事務員であったころの調子と変わりなく、ノロノロやっています。しかし、私の採譜者としての評価は「迅速かつ正確」なのです。これは、皆さん私よりももっと遅くて不正確であるということを意味します。自分ではそれほど得意だと思っていないことでも、他者との比較で、得意だということはあり得ます。逆に、自分では得意だと思っていることでも、多くの人がもっと得意であるなら、それは「得意」とは見なされないものです。このように、得手不得手というものは、他者との比較という側面を持ちます。
というわけで、自分が何に向いているかは、自分ではなかなかわからないものです。私もたくさんの試行錯誤をし、たくさんの回り道をし、たくさん恥をかいて、現在の位置にいます。たくさんの試行錯誤、たくさんの回り道をし、たくさん恥をかいて、自分の向いているものに到達しましょう!