行き当たりばったりの賢さ

マンガ「アオアシ」(小林有吾作)を読んでいて、以下のような場面がありました。Jユースの監督である福田監督は、栗林という強い選手を出そうか、迷っていたとき、主人公のアシトと目があいます。福田監督は「アシト。お前、行け」と言います。福田監督は、非常に賢い監督として描かれています。福田監督は、まさにいま、行き当たりばったりでアシトを試合に出しました。
「そうだ、京都行こう」というCMがありました。JR東海のコマーシャルです。一定年齢以上のかたは覚えておられるようです。これも、「そうだ、京都行こう」という思い付きが、突発的に行き当たりばったりですが、マンガやコマーシャルは、感情移入がしやすいように、登場人物をおおらかな人として描きます。この人は、自分の内なる声に聞き、それが言語化されたのです。自分は京都に行きたいということに気づいた瞬間を描いたCMでした。
指揮者の小澤征爾さんは、毎年、松本市で音楽フェスティヴァルを開いていました。いまでも、セイジ・オザワ松本フェスティヴァルとして、続いているようです(私は行ったことがありません)。これも、なぜ小澤さんは松本市でフェスティヴァルを開こうかと思ったか、インターネット検索をしても、決定的な理由が見つからないのですが(当時、松本市でホールが作られつつあったこととか、小澤さんはそばが好きであったとか、いろいろ)、どうも、小澤征爾さんの行き当たりばったりであった気がします。「そうだ、松本でやろう」と思ったということでしょう。
「生得のロゴスを受け入れよ」。新約聖書ヤコブの手紙の1章21節の言葉です。新約聖書学者の田川建三さんの訳で引用しました。新共同訳など一般的な日本語訳は違う意味に取っています。「生得」は「しょうとく」または「せいとく」と読み、「生まれつきの」「持って生まれた」という意味です。「ロゴス」は言葉という意味です。生まれつきの言葉を受け入れよ、とは、「自分の声に聞きなさい」とか「直感を信じなさい」という意味だろうと思います。行き当たりばったりでうまく行く人は、自分の声に聞くことができる、賢い人なのだろうと思います。学校で「なにごとも計画を立てて」と習ったのは、もしかすると、行き当たりばったりが不得意な人に向けての教えだったかもしれません。私も行き当たりばったりの不得意な、賢くない人間です。
(それで、ロゴスとは福音という意味でもあるそうで、そうなりますと、福音というものは、教会に行って教えてもらうものというより、自分で自分に教わるものなのかもしれません。)
自分の声が聞こえる人というのは、「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」という、人生における恐れの要素の騒々しさがなく、心の中が静かであり、それで自分の声がよく聞こえるのだろうと思います。あれが食べたいとか、どこに行きたいとかが言える人とも言えます。もともと人間というのは、かなり賢く、また創造的で、親切に造られていると思います。この自分の声の聞こえない人が、たとえば金額で自分の幸せを測ろうとしたりするのだと思います。
ある人は、ダイヤモンドに興味はないと言っていました。その人にとって、ダイヤモンドは価値がないのです。いっぽうで、小石でポケットをいっぱいにしている子供にとって、その石は、宝物であり、価値があります。金額で価値が測れない例として、「価値のないダイヤモンド」と、「価値のある小石」の例を出しました。こういう小石は「宝」です。(こういうのを「おたから」とは言いませんね。「おたから」というのは、金額に執着したニュアンスのある言葉であることに気づかされます。「子宝」も「おたから」とは言いません。)
十年以上前に、ある教会でそこの牧師さんに聞いた話です。「数じゃないんだよねー。でも、数なんだよねー」。教会の牧師は、増やした信者の数で、業績が測られる、という意味でした。これは、学者でも業績の数は論文の数であったりしますし、あるいは、なにかの販売員でも、1か月で1,000セット売る人と、5セットしか売れない人というのがあり、仕事の内容が数で測られると聞いています。金額に限らず、価値を「数」で測ろうとするのは、どこか、自分の声の聞こえなさに由来するような気もします。
私が仕事にしているのは「数学」であり、数の学問と書きます。これは、数の限界を知る学問であると私は感じています。自分の本来の声に聞く、というのが、本当の意味での賢さなのであろうと思います。あらゆる分野で数を使うからには、私はあらゆる分野の専門家でなければならないのかとも感じています。一生勉強だろうと思います。
かくいう私は自分の声が聞こえない人間であり、それゆえに、金額やその他、いろいろ目に見えるもので、価値を測って来た人間でした。そのことにようやく気付きつつあるわけです。自分が正しくないことに気づいたら、すぐに道を軌道修正できる人間でありたいです。
