講演会「数学的に考える 偏差値と学歴呪縛からの解放」原稿

去る2023年9月30日㈯に行われました講演会の原稿をブログ記事として公開したいと思います。話すと約24分かかる、長い原稿ですが、よろしければどうぞお読みください。

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皆さんこんにちは。本日は、お話をする機会をいただきまして、ありがとうございます。

さっそくですが、内容に入って参ります。

小学校1年生で、数を習います。1、2、3、4、5、…というものですね。これはモノの個数です。長さが数で表されることは、まだ1年生では習いません。ただ、長さというものは比べられることを習います。えんぴつが2本あったら、並べればどちらが長いか、言えます。ひもが2本、あったら、ぴんと伸ばして、比較すれば、どちらが長いか、言えます。4両の電車と、6両の電車では、6両の電車のほうが長いです。ここでもう数が見えて来てしまっていますけれども。また、えんぴつと電車では、電車のほうが長いです。あらゆるえんぴつよりも、あらゆる電車のほうが長いでしょうね。電車より長いえんぴつはないと思います。とにかく、比べたらどちらが長いか、言えるわけです。

同様にして、かさと言われるもの、体積と言われるもので、cc(シーシー)などという単位でお料理などでもおなじみですが、これも、小学1年生は、まだ数で表されることを習いません。ただこれも、比べられることは習います。2つコップがあって、片方になみなみと水を注ぎ、もう片方に水を移しかえたとき、あふれるようであれば、先のコップのほうがたくさん入るわけです。

小学2年生で、長さが数で表されることを学びます。長さは個数と違って、単位を決めねばなりません。というわけで、単位を習います。cm(センチメートル)とか、mm(ミリメートル)といった長さの単位を習います。かさも、数で表されることを習います。L(リットル)とか、mL(ミリリットル)とか、dL(デシリットル)とかいう単位を習います。ここでちょっと脱線しますが、体積の単位として、「mL」と「cc」と「${cm^3}$(立方センチメートル)」は同じ意味の単位です。かさの単位で、同じものに3種類の名前があるのです。これがなぜなのかを述べるのは本日の話から目的が逸れますので、このお話はここまでにいたします。脱線は終わりです。

それから、これらは足し算ができることも習います。2Lの水と、3Lの水をあわせると、2たす3で、5Lになることを習います。

それから、時間を数で表せることも習います。単位は、分とか、秒などです。(秒という単位を習うのは3年生ですが。)重さも数で表せることも習いますね。単位はg(グラム)やkg(キログラム)です。(重さを習うのも3年生です。)

では、次のものを数で表せるでしょうか?

・おいしい

・寒い

・赤い

少しお考えいただきましょうか。つまり「長い」というのは数で表せるわけです。

ひとつひとつ考えて参りましょう.。

「おいしい」というのは、かなり主観が入りますね。しかし、レストランの星の数は、おいしさを表していると言えるかもしれません。おいしさを数で表したのがレストランの星の数とも言えそうですね。

「寒い」というのは、気温ですから、数で表せそうですね。「体感温度」という、また別の尺度もありますけどね。

「赤い」というのはどうか。じつは、われわれがパソコンやスマホを見ている色は、光の3原色と言いまして「赤さ」「緑さ」「青さ」の3つの要素をそれぞれ数で表して、およそ世界にあるあらゆる色をパソコンやスマホの画面で表しています。(ちょっと小難しい話が続くかもしれませんが、わからなくてもその先に影響はありませんので、どうぞ聞き流してください。)赤256段階、緑256段階、青256段階で、ちょっとかけ算をしますと、およそパソコンやスマホの色は、16,777,216通りあります。これは3次元のベクトルになるというのが正確な言い方かもしれませんが、一応、「赤さ」も数で表されると言えるかもしれません。ちょっと難しい話をしてすみませんでした。

さて、ここで、ちょっと整数と実数の違いについて、簡単におさらいしますね。わからなくても先の議論には差し支えないですので安心してお聞きください。7人の人を2つの部屋に分けるとします。均等に分けると、1部屋に何人になるでしょうか。これは、7÷2=3あまり1で、3人あまり1人です。1部屋に3人ずつで、1人あまります。一方で、7リットルのビールを2人に分けるとき、均等に分けますと、1人あたり何リットルになるかと言いますと、3リットルあまり1リットルとは言わないわけです。あまりの1リットルもまだわけられるので、7÷2=3.5で、3.5リットルとなります。このように、「人数」や「回数」のような、キリのいい数を整数と言い、3.5のような、中途半端な数も含めた数を実数と言います。今回のお話では、この2つはそれほど厳密にわけて議論しなくても大丈夫ですので、この話はよくわからなかったとしても大丈夫です。難しい話は終わりました。先へ進みましょう。

実数には、全順序というものが入っています。理系の大学生が大学1年で習うような言葉ですが、実数、つまり普通の数は、違う数ならば、必ず大小がある、という性質のことを言っています。4と6では6のほうが大きい数です。20℃よりは30℃のほうが暑いです。3時間よりは15分のほうが短いです。3,000円よりは30円のほうが安いです。こういうのを実数の全順序性と言っています。実数は、数直線と言われる直線で表されます。数と直線は同一視できるのです。

さて、そうすると、3つ星のレストランより4つ星のレストランのほうがおいしいということになるのでしょうか?そうなりそうですけどね…。

では「かしこさ」というものは、数で表されるでしょうか?

この問いをしたときに、多くのかたが「IQ」とおっしゃいます。かしこさを数で表したものがIQですかね?私は、IQという言葉を知ったのが、つい昨年です。いま47歳ですが、46歳のときに初めてIQという言葉を知りました。次の本で知ったのです。

ダニエル・タメットさんという人がいます。私に似て、できることとできないことの差が極端な人です。もっともタメットさんの能力は私とはかなり違うところに発揮されているようですが、そのタメットさんが、IQのテストを受けて、そのあまりの無意味さに驚いた、という文脈で、私は初めてIQというものを知ったのです。タメットさんが、人間の能力を数値化できない典型的な例として、次のような人物を挙げていました。

「車のキーをひんぱんにどこかに置き忘れるノーベル賞学者」。

車のキーをひんぱんにどこかに置き忘れる人というのは、非常に水準の低い人物と位置付けられそうです。しかし、彼はノーベル賞学者なのです。こういった人物を、どう数値化するか。

次のような例ではいかがでしょうか。元プロ棋士で、加藤一二三さんという人がいます。ひふみんというニックネームで、数年前くらいにテレビの人気者になりました。とてもユニークなかたです。さて、ひふみんは、近所の将棋教室の先生だったら、成功していたでしょうか?

ここで少し、小学1年生の算数の教科書に戻ります。まだ10までの個数を数える段階にあるころです。次のような絵が描いてあり、数を数える練習です。いちごが10個。パイナップルが3個。バナナが7本。さて、どれが多いでしょうか。個数で言いますと、いちごの10個が最も多いと言えそうです。しかし、実際に食べるとしたら、どうでしょう。いちご10個はひとりでも食べられそうですが、パイン3個をひとりで食べるのはかなりきついのではないでしょうか。バナナ7本もきついだろうと思います。こういうときは、重さという別の数をわりあてるのがよいのでしょうか。インターネット検索してみますと、いちご10個は150グラムくらい、パイナップル3個の食べられる部分の重さは2.5キロくらい。バナナ7本の食べられる部分の重さは800グラムくらいです。重さだとパイナップルが最も多いですね。これはもしかして、カロリーで測ったほうがよいのかもしれません。バナナはカロリーが高そうです。パイナップルは水ばかりかもしれませんので…。これもインターネット検索で調べますと、いちご10個は50キロカロリー、パイン3個は600キロカロリー、バナナ7本は、1000キロカロリーで、バナナ7本がもっとも高カロリーでした。とにかく、数をわりあてるにもさまざまな方法があり、それによって順番も違ってくるわけです。

さきほどのひふみんの話に戻ります。ひふみんに、近所の将棋教室の先生としての適性をあてがうと、非常に低い値が出そうです(ひふみんには失礼ですみませんが)。同様のことは、長嶋茂雄さんが、近所の草野球チームのコーチだったら成功しているか、という問いにも言えそうです。これも長嶋さんに失礼でしたらすみません。

じつは私もそのタイプの人間です。自分を加藤一二三さんや長嶋茂雄さんのような天才と比較するのはおこがましい行為ですが、確かに私はそのタイプです。

少し自己紹介します。私は幼少のころから、整理整頓ができない、だらしがない、すぐになくしものや忘れ物をする、ということで、なにをやってもダメ男くんであり、周囲の大人から叱られ続けて育ちました。それが発達障害の二次障害を引き起こすもととなったのですが、中学に入って急に授業が体系だった気がしまして、突然、成績がよくなり、高校は県で一番の進学校へ行き、東大に行き、東大数理という数学専門の大学院に進み、博士課程1年のときに、いま思えば発達障害の二次障害である重い統合失調症となり、博士論文を仕上げる能力を奪われ、30歳のときにある地方都市の私立中高の教員になったら徹底的なダメ教員でした。皆さんも、学生時代に、そしてお子さんの学校にも、ダメ先生がひとりかふたりはいるのをきっとご存じでしょう。そんなひとりだったのです。私は30歳になって、小学校時代の「なにをやらせてもダメ男くん」に完全に戻ってしまいました。教員を11年やって、ダメすぎて教員をやめさせられて同じ学校の事務員にさせられたら事務員はますます向いていない仕事で、事務員を5年やって、46歳のとき、昨年、ついにクビになり、無職となりました。47歳の現在は、フリーランスの数学の講師として、この星くず算数・数学教室で自分自身を生かしつつ、受講生の皆様のお役に立てることはないかと試行錯誤中です。

これでだいたい簡単な自己紹介はおしまいです。

このように、賢さは数で表せないものです。しかし、人間は数で表せないものまでしばしば数で表します。先ほどから述べております通り、小学校で「長さは数で表せます」「かさは数で表せます」「角度は数で表せます」と、きちんとその概念が数で表せるか、習うのですが、だんだんなんでも数で表せる気がしてくるのか、数で表すのが不適切なものまで数で表すようになってくるのです。

たとえば、人間の成績を数で表すことです。学力テストの点数で、数で表します。数には全順序が入っていますので、順番がつきます。40点より60点のほうが価値があることになります。

また、私は教員時代に、仲のいい美術の先生がいました。その先生は、採点をするときは、作品を、できのよい順に、一列に並べて、点数をつけるそうです。数直線ですから、一直線に並べる必要があるのですね。しかしこの美術の採点というのは非常に難しいと言っていました。おそらくそうでしょうね。芸術作品はさまざまでしょうから、できのよい順に一列に並べるのは難しいのだろうとだいたい想像がつきます。

たとえば、小学校の3年生の教科書に、「0.2と${\frac{4}{10}}$は、どちらが大きいですか」というような問いが載っていたりします.。小数と分数は、比較できるものではないかもしれないのに、比較できることが前提の問題が載っているのです。実際、これは${\frac{4}{10}}$のほうが大きいです。0.4ですからね。しかし、次のようなことがあります。

聖書から例を取ります。パウロという人が新約聖書で言っていることです。たとえば目は風景が見えるけれどもものはつかめない。手はものをつかめるけれども風景は見えない。目と手とどちらが偉いか?というような話です。これは、一概には言えません。ラーメンはおいしいがぎょうざはそれほどおいしくない店と、ぎょうざはおいしいがラーメンはそれほどおいしくない店に順番をつけようとするようなものです。つけられません。

私は、次の2つのことをひんぱんに言われます。ひとつ目は、あなたは東大数学科を出ているのだから、高校教師は余裕でしょう、いまもビルが建つくらいに塾講師として稼げるでしょう、というものです。もうひとつは、あなたは一般の事務職すら務まらないような人なのだから、ましてプログラミングなど無理でしょう、あなたは段ボールをたたむことすら人並みにできないのだから、まして論文の読み方などわかるまい、といったことです。私はずっとこの2つのあいだで苦しんでいます。

これはすべて人間の能力が数で表せる、すなわち数直線という一直線上に乗るという勘違いから来ています。それで、私という人間を数直線の上に乗せられなくて、いま述べた極端な2つの誤った評価になるわけです。

この現象は昔からあります。再び聖書から例を取りますと、聖書というのは、キリストの弟子を徹底的にダメな人たちの典型として描くのですが、キリストの弟子は、いつでもどこでも、だれがいちばん偉いか、という話をしています。はなはだしいのは、最後の晩餐でもだれがいちばん偉いかという話をしている弟子の存在であり、とにかく人間に順番をつけないと気が済まない人たちとして聖書はキリストの弟子を描くのです。

私が教員として不適格すぎて、事務員にさせられた話はさきほどしました。事務員として、学校図書館の司書をやらされていた時期があります。司書時代、すごく生徒さんに人気のあった本があります。「大学ランキング」という本です。毎年、更新される本です。皆さん、大学に数を割り振って順番をつけるのがお好きなのです。

われわれは、学生時代は偏差値で、社会に出てからは年収で見られます。つまり、数で判断されています。

私は勤めたところはその学校1か所だけなので、他の職場の雰囲気を知りませんが、いろいろ成績が数値化されるらしいことはなんとなく聞いています。1か月に1,000セット売る人、1か月に5セットしか売れない人。数は残酷にも人に順番をつけ、優劣をつけます。

また、SNSでも、いいねの数、フォロワーの数、動画の再生回数などを気にしています。

カラオケに行っても、歌のうまさが得点となって出てきます。さきほど、美術の先生の採点の話をいたしました。芸術に点数をつけられるのかわかりませんが、歌のうまさがカラオケで数になって表れます。

オリンピックの報道も、メダルの個数という「数」ばかり言っています。ノーベル賞まで、メダルの個数争いみたいな報道になっています。

たとえば、私の理科一類時代の標準的な同級生がどうなっているかを書きます。たとえば東大工学部を出て大手メーカーのエンジニアとなり、それで私と同い年なら47歳になっており、そういう規模の会社のエンジニアであれば、月に100万はもらっているだろうと、そんな級友ばかりとなります。人を数で見ています。

こういう人は、往々にして私のような人間を徹底的に下に見ます。私も、恥ずかしくて、彼らにあわせる顔がないです。東大の同窓会とか、絶対に行けません。

彼らが私を下に見る理由ですが、たくさん勉強していい大学に入って、いい就職をして、安定したたくさんの収入を得るというシナリオがあり、そのためにたくさん勉強して東大に入ったわけですから、そしてその通りの人生を歩んでいる人は、人間を数で測ることに慣れており、数をわりあてるにしてもその1通りのわりあてかたしか知らないため、その測りかただと私は徹底的な失敗者とならざるを得ないからです。だから私はそういった人からは徹底的に下に見られます。

私にはアマチュア・オーケストラという趣味があります。いまは貧しいうえにひまもなしで、やっていませんが、たまに聴きに行きます。ときどき会社のオケがあります。大企業は、会社の部活として、アマチュア・オーケストラを持っていたりします。UFJ管弦楽団みたいな(もっともこれは統合前なのでかなり古い記憶ですが)感じですね。団員の約半分が、社員かその家族です。プログラムをよく見ると、管楽器の下を吹いているのが部長さんで、首席奏者が派遣社員さんだったりします。このように、会社の序列と、オーケストラでの序列が異なることはしばしばあることです。また、私はコロナ禍のあいだに、あるNPO法人の理事長さんと親しくなりました。その人が酒の席で言っていたことです。「オレは理事長が得意だから理事長をしているのだ。だれそれさんは専務理事が得意だから専務理事をしているのだ。誰が偉いというのではなく、みんな得意なことをしているのだ。みんな得意なことをすればいいのだ!」と言っていました。みんな得意なことをやり、苦手なことはカバーしてもらえる国が、キリストの言った神の国ではないかとちょっと思いました。すみません。キリスト教の話をするのはここまでにしておきます…。

数学とは、数の限界を知る学問です。決して数が万能であることを言う学問ではありません。数学を知らないかたほど、数が万能であるかのように言う傾向にある気もします。哲学よりも数学や物理学のほうが、数で表されるから高度だ、と主張する人など…。

高校1年の「データの分析」で次のように習います。これは、統計の分野で、高校で統計が必修になったのは十数年前ですから、ある一定年齢以上の人は高校で習っていない話になります。私も、教えたことはありますが、高校時代に習ってはいません。数で表せるデータを量的データ、数で表せないデータを質的データと言います。ちょうど教科書に載っている例で、札幌の2018年4月の日ごとの最高気温があります。4月1日から30日までの、30個の数が載っています。これは量的データであるわけです。これに対して、数で表せない質的データはと言いますと、たとえば、2018年4月に最も暑かった札幌の区、というデータがあります。この場合、30個の、札幌の区の名前が書かれたデータとなります。(私は札幌の区の名前はひとつも知りませんが…。)

ところで、学歴というものが母校の名前を表すだけのものであるなら、それは質的データであって数ではないわけです。「東京大学」というのは漢字4文字に過ぎず、数ではありません。ところが多くの人が東京大学と聞いて「高い」とお感じになるのは、暗黙のうちに大学名の背後に偏差値という「数」をイメージしていて、それで判断しているためだと考えられます。ここで具体的に偏差値が低いと言われる大学名を出すわけにいかないのですが、とにかくそういう大学よりは東京大学とか九州大学というのは「高い」と思われているわけです。母校の名前を言っているだけなのに、数がわりあてられていて、高い、低いがあるわけです。

この会に私を招いてくださった「学びのドア」の先生から教わった、文科省のサイトがあります。おそらく小学生が算数を学ぶにあたっての目標を書いたものだと思いますが、「方向や位置に関する言葉を用いる」「数の概念の理解」などと書かれています。確かに、方向や位置というのは、数で表せないもので身近にある代表的なものです。(これらが数で表せないことのきちんとした説明は難しいと思われますので、本日は省略します。)数で表せないものを最初に習うのは、ベクトルを習うときでしょうか、複素数を習うときでしょうか。とにかく高校だと思います。(複素数というのは数なので、ちょっと議論が混乱しますが、実数ではありません。さきほどからわれわれが「数」と言っているものはすべて実数です。ふだんわれわれが目にするのもほとんど実数です。ですからここまでの議論に問題はありませんのでご安心ください。)このように、数学は常に、「数で表せないもの」を注意深く扱ってきました。しかし残念ながら、数学をよく知らない人たちが、数で表せないものまで数で表しています。

人間を数で表しています。

そして、数で表した瞬間にそれは数直線に乗って順番がつきます。

優劣がつきます。

つまり、数で表せないはずの人間の能力を数で表しているものが、学力とか、偏差値とか、学歴とかいうもので、数の限界を知る学問が数学でありますから、じつは、学歴とははなはだ学問的ではないものなのです!

学力が学問的ではないこと、ご存じでしたか?

実際、当教室(星くず算数・数学教室)で算数や数学を学ばれる生徒さん、大人も子どもさんも、男性も女性もおいでになりますが、皆さん、文系も理系も、東大卒も中卒も関係ない、というのが私の偽らざる実感です。学歴や学力が数学と関係ないことは、ほんとうだったのです。

このように、人間は数で表せないものまでしばしば数で表し、順番のつけようのないものまで順番をつけている、ということにお気づきいただきまして、皆さんが、学歴に振り回されて人生を狂わすことのないことを願ってやみません。本日はご清聴ありがとうございました。

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以上です。

このあとに、30分くらいの質疑応答の時間がありました。それはアーカイブ(有料になりますが)でご覧ください。アーカイブ版のお問い合わせは、学びのドア 学びのドア (gaku-ryoku.com) さんまでお願いいたします。

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