5回目の駒場祭(1998年)

東大の駒場キャンパスの文化祭で、11月に行われる「駒場祭」というものがあります。東大に入った学生は、理科一類から文化三類までの6通りの場合分けで、みな教養学部の駒場生となり、2年を過ごします。私のいた東大数理(東京大学大学院数理科学研究科)は駒場にあり、それに伴って理学部数学科も駒場にあり、私は1994年から2006年まで、12年間、駒場キャンパスに通いました。本日は、1998年の、5回目の駒場祭の思い出について、当時の日記から書きたいと思います。(本郷キャンパスで行われる学園祭が五月祭です。安田講堂や赤門などはすべて本郷キャンパスにあります。)

私は96年、3年生のときに東大オケをやめ、ついで統合失調症の症状を出して学業も1年休んでおり、この5回目の駒場祭は、学部4年だったわけです。東大数理の院試(大学院の入試)は受かっており、また、教会にデビューしたばかりのころとなります。東大オケの駒場祭の特別演奏会と言われる出し物のあった11月23日(月、祝)の2日前から書きたいと思います。前の日である22日(日)は通っていた教会のバザーでした。

11月21日(土)、午前中は部屋に掃除機をかけたり、楽器の練習などしています。午後、教会へ行っています。翌日のバザーの準備で教会はあわただしくなっていました。午後1時半から5時まで、バザーの準備の手伝いです。机や物干し台を運んだり、バザー品の分類をしたり。私にとって教会の行事はすべてがはじめてでした。香港から来た留学生と知り合ったりしています。

そののち、渋谷で飲み会です。東大オケの仲間6人とです。久しぶりに会う仲間もいました。同じ学年です。仲間のひとりが司法試験に受かり、そのお祝いの会でした。院生になっているか、社会人になっている仲間もいたと思いますが、このタイミングで(留年していて)4年生で、内定をもらった仲間もおり、そのお祝いも兼ねていました。そして私は院に合格したというわけです。渋谷のお店で楽しく盛り上がりました。

翌日、22日(日)です。教会のバザー、初体験でした。私が東京にいた期間、この教会のバザーで雨が降ったことはなかったと思います。この日もよく晴れていました。私はたこ焼きの屋台を仲間4人とやりました。ソースと青のりとかつお節をかけていました。よくつり銭を間違いました。教会の壮年の皆さんからは「きみは数学科だろう?」と言われるのですが、こういう計算と数学はあまり関係がないのですよね・・。がんばりました。

昼過ぎに交代し、福引をやってみたりしました。終わってから後片付けです。また物干し台を運びました。古着をかけるやつです。一日中、働きづめで、5時半ごろ帰りました。私は初めてですし、「雑用」は不得意なほうですし、力仕事も苦手なほうです。ボーっと突っ立っていたり、ウロウロしているばかりの時間がすごく多かったと思うと日記にも書いてあります。しかし、それでも、皆さんから「いい言葉」ばかりかけていただいたことに感謝しています。それにしても、これだけ22歳のころから自分が雑用や力仕事が苦手なのをわかっていて、よくもまあ学校の事務職員(総務)などしていたなあ・・・。人間は向いている仕事をすべきですね。

この日、勉強はしたかったのですが、できなかったようです。

翌23日(月、祝)です。朝から駒場祭に行きました。11時ごろに着いています。東大フィルは11時30分からでした。いまここに当時のチラシがありますが、「東京大学フィルハーモニー管弦楽団」という、いわゆる「東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)」とは異なる東大のオーケストラがあるのです。私が入学した1994年にはなかったと思います。フィロムジカ合奏団はあったと思います。東大には複数のオケがあるわけです。それで、東大オケをやめた(あるいは卒団した)仲間がしばしば東大フィルに乗っており、その仲間の演奏を聴くという目的で聴いているのです。なにを隠そう私も東大フィルに乗ろうとしたことはありました。この日は、2日前の飲み会の仲間と一緒に聴いています。プログラムは以下でした。

マルシュナー 「ハンス・ハイリンク」序曲

ブラームス 交響曲第4番ホ短調から第1、3楽章

ブラームス ハイドンの主題による変奏曲

仲間の演奏もすばらしく、全体的に非常によい出来であったことが記されています。日記には書いてないものの、私は「ブラームスの交響曲第4番の第3楽章の終わりで拍手する」という願ってもないチャンスに恵まれてひそかに喜んでいました。

終演後、出演した仲間に会いました。続いて東大吹奏楽部です。これも、後輩が乗っていました。ただし、この日のプログラムは紛失したうえに、日記にも詳細が書いてありません。聴いたと記憶する曲はあるのですが、あまり不確かなことは書きたくありませんので、書かないことにいたしますね。この日のプログラムを東大吹奏楽部にこのたび問い合わせましたが、わからないようです。仲間と駒裏の喫茶店でカレーを食べています。

それから、高校のオケの後輩で、「合気道部管弦楽団」というのをやっていたのがおもしろかったと日記には書いてあります。あまりよく覚えていないなあ。おもしろそうだけど。

そして、東大オケの演奏です。駒場生である1、2年生の演奏です。私も1994年と1995年は出演したものです。96年と97年は後輩の演奏を聴き、この5回目で、ここまで5回、皆勤しています。この日のプログラムもここに残っています。12年間の皆勤はないと思います。博士課程の1年のときに取り返しのつかないような大病(統合失調症)をして、音楽どころではなかったからです。12回のうち、何回、駒場祭の演奏を聴いたのか、日記を読み返しつつ、思い出そうとしています。この日の演奏はよく覚えています。以下のようなプログラムでした。

ブラームス 大学祝典序曲

シベリウス フィンランディア

シューマン 交響曲第1番変ロ長調「春」

アンコール ヨハン・シュトラウス 「春の声」

私の聴いた駒場祭のなかで、シューマンの「春」が演奏されたのはこのときだけだからとくによく覚えているのです。とてもいい演奏でした。河原哲也先生の指揮も情熱的でした!

終演後、すごくたくさんの仲間に会っています。駒場祭の会場は、同窓会の会場でもあるようなのでした。日記には懐かしい名前がずらっと書いてあります。(むしろ、出演者に知っている人は少ないわけです。私は3年でやめていますから。)

打ち上げは、東大フィルのほうの打ち上げに行っています。(東大オケのほうは行けないですね。現役駒場生の打ち上げですから。)2日前の渋谷のお店の隣の店であったと書いてあります。ここで乗っていた仲間のひとりも、1年留年し、なかなか大変なのでした。私もこのころは、院試に受かったのちで、翌年からの大学院生活に戦々恐々とする日々でありましたので、仲間の大変な話もいろいろ親近感をもって聞いたのでした。

ところで、東大フィルのそのブラームスの4番を中心とする演奏会は、この年の12月20日に新宿文化センターでの定期演奏会の「予行」と位置付けられるものでした。私はその定期演奏会のほうも行っています。その冊子もここにありますが、第2回定期演奏会と書いてあります。確かに東大フィルは創設から間もないころだったということになります。この日は教会のクリスマス礼拝であり、おそらくはじめて洗礼式というものを見ています(入信の儀式です)。当時の仲間が洗礼を受けました。たいへんな人出であったと書いてあります。「愛餐会」と言われるパーティーの準備も手伝っています。そういうのをほどほどにしつつ新宿文化センターに行ったわけでした。以下のようなプログラムです。

マルシュナー 「ハンス・ハイリンク」序曲

ブラームス ハイドンの主題による変奏曲

ブラームス 交響曲第4番ホ短調

これの「予行」が駒場祭の本番であった形になると思われるわけです。マルシュナーの「ハンス・ハイリンク」序曲という曲は珍しいうえに気に入り、当時、CDを買ったものです。この日の前の日が東大オケの忘年会であったとか、日記にはいろいろ書かれています。このように書くと私はまるで勉強していなかったかのようですが、勉強はしていました。まじめすぎるほどにしていました。この日は東大オケの仲間と焼肉を食べてさようならをしています。

という、日記を読み進めているわけです。だらだら長い記事ですみませんでした。これに懲りずに私の青春時代の話もときどき聞いてくださいね。

(最後に、自分の出演した駒場祭は思い入れが深すぎてなかなか記事が書けないのですが、かつて、大学1年のときの、1994年の駒場祭の「室内楽喫茶」を記事にしたことがあります。よろしければあわせてご覧くださいね。)

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