1997年の暮れの3つのフルートのソロ演奏の機会

これはまた昔話ですが、よろしければお付き合いくださいね。
1997年の暮れのことになります。11月15日、12月21日、12月27日に、それぞれフルートのソロ演奏を披露する機会があったのです。それらの日のことを、当時の日記から書きますね。
11月15日は、レッスンの先生のところで行われた「試演会」での演奏です。先生のレッスン室は広く、もともと試演会ができるように作られていたのでした。いわゆる内輪のミニ発表会です。
この日の午前中はゆっくり散歩をし、午後、先生のところへ行きました。レッスンだったのですが、予想通り、夜の試演会の準備になっていたと日記には書かれています。緊張のあまり、昼寝をして気が付いたら終わっていた、ということはないものかと思ったりしていますが、本番は来ました。夜の6時から試演会で、再び先生のところに行きました。なんらかの試験を受ける人が5人おられ(音大受験か、コンクールか?)、それ以外の「前座」が6人おり、「趣味の人」は私だけであったと日記にはあります。この日、私はクーラウのアイルランド民謡による変奏曲ト長調op.105をやりました。そのころレッスンで習っていた曲です。クーラウはベートーヴェンと同じころのデンマークの作曲家であり、たくさんのフルートのための作品があります。一般には、ピアノのためのソナチネで有名な作曲家だと思います(ソナチネアルバムの第1番はクーラウの作品です)。この作品は、いわゆる「庭の千草」の主題による変奏曲でした。私は「庭の千草」という曲をよく知らず、この曲を習うことでようやく知ったというメロディです。「庭の千草」の旋律でフルートとピアノのために変奏曲を書いた作曲家は複数名おり、私が若いころからCDを持っている作品だけで3つはあります。このクーラウ作品のほか、ベートーヴェンにもあり、あとひとつは、いまCDの部屋がごった返しており、とっさに書けません。すみません。ベートーヴェン作品よりもこのクーラウの作品のほうが本格的な作品です。難しい曲でした。当日の私はすっかりアガってしまい、さんざんな出来であったように日記には書かれています。でも25歳の大病よりは前の演奏ではあります。
つぎです。同年の12月21日に、茨城県の取手で、あるピアノ発表会に出演する機会をいただいたときのことになります。日記にはいきなり「今日も、非常に疲れたものの、すばらしい一日だった」と書かれています。この日の曲もなににするか、かなり迷った形跡が日記には書かれています。11月15日と同じく、クーラウにするつもりだったらしいことが書いてあります。しかし、最終的に、ニーノ・ロータの「5つの小品」にしています。このロータの作品は、この年(1997年)の2月くらいにレッスンで習った曲でした。ニーノ・ロータは、「ロミオとジュリエット」や「ゴッドファーザー」などの映画音楽で有名な作曲家であり、1997年当時は、このようなロータの純粋なクラシック音楽の作品が取り上げられる機会は稀だったと思います。私のこの演奏の少し後くらいに、ロータの世界的なブームが起き、一気にロータの再評価が進みました。当時、ほとんどCDのなかった(当時はインターネットがほとんどなく、音楽を聴くとしたらCDくらいしかない時代です)この曲も、いまはゴールウェイのCDもありますし、すっかり有名となりました。しかし、私のこのときの演奏は、じつは茨城県初演ではなかったかと、当時からひそかに思っております。
しかし、このときもアガりました!かなり音が震えました。覚えているのは、この5つの小品のうち、第4曲で、フラッテルツンゲと言われる、吹きながら巻き舌をする奏法があり、そこで客席の皆さんが一斉に私のほうを見た、ということです。なにごとかと思われたということでしょう。
さて、このピアノ発表会では、その先生によるリクエストで「冬にちなんだ曲」も用意して欲しい、と言われていました。私は何を用意すべきか。これも先生に相談しました。先生は、ヴィヴァルディの「冬」で、フルートによるものがある、とおっしゃり、楽譜を教えてくださいました。有名な、ヴィヴァルディの「四季」の「冬」の第2楽章です。しかし、有名なヴァイオリンによるものと、だいたい旋律は同じとはいえ、細部がかなり異なり、また、調も違うのでした(いま、楽譜がなく、どの調であったか確認ができません)。いったいこれはどういう曲であろうかと、曲名に書いてあるイタリア語を調べましたが(Google翻訳などのある時代ではありません。紙の辞書を引いたわけです。イタリア語の辞書はどこから借りて来たのか・・・とにかく大変な思いをして調べました)、結果「冬」と書いてあることがわかりました。とにかくなんという曲だかわかりません。というわけで、この発表会では、そのヴィヴァルディの「冬」も演奏したのでした。(だいたい後から知ったことは、このようにヴィヴァルディは、自分の作品のリライトが結構あるということです。そんなうちのひとつだったのでしょう。これも茨城県初演だった可能性はありますね。)
ロータのアガりようは、11月15日のクーラウほどではなかったと日記に書いてありますが、自分ではすっかりへこんでいました。つぎの出番である「冬」を待ちながら、その翌年の夏に予定されている、クラリネットの友人との別の発表会での出番はどうなるのか、ぼんやり考えていました。ところが、この「冬」は意外にもまったくアガらず、本領を発揮して演奏できたのです!日記から引用します。「始まったら本番効果で、ばかに上手に演奏した。ほぼ理想的といっていい上出来で、非常に満足した。実際、とてもほめられて、とても嬉しかった。出させてもらって、本当によかったと思う。他の出演者の演奏も楽しく聴けたし、終了後の食事会も楽しく、非常に緊張して疲れたけれども、よき思い出となるだろう。すばらしい一日だった」。実際、その「冬」は非常にうまくいった記憶があります。いい思い出です。
そして、それから1週間がたたない12月27日のことです。これは茨城県のつくばでのあるホームコンサートに呼ばれての演奏でした。先ほどの発表会が茨城県であったこととは無関係です。このときは、ホルンを吹く仲間と一緒に出演しました。いろいろな人の歌や演奏が聴けました。私はこの日は、アプシルのシシリエンヌと、フォーレのシチリアーノの2曲で出演しました。ものすごくアガってしまいました。最悪の出来だったと記憶しています(笑)。アプシルのシシリエンヌは、ロータよりももっと前、1994年、大学1年の夏にレッスンで習った曲です。これも珍しい曲であり、ひそかに茨城県初演だったのではないかと思っています(ひどい初演でしたが。ごめんなさいアプシル先生)。アプシルは近代ベルギーの作曲家です。アプシルのシシリエンヌという曲は、数分の小品ですが、非常に名曲であり、もっともっと知られていい曲だと思っています。ずっとのち、でも東京時代に、新世界レコードというマニアックなレコード屋さんで「20世紀のベルギーのフルート音楽」というCDに収録されているのを見つけ、購入したということがあります。いまもその音源はパソコンに取り込んで、授業の開始前の時間調整音楽として重宝しています。この演奏もとてもすばらしいですが、パユみたいな人がレコーディングしてくれることを切望する次第です。YouTubeに、オーボエとハープで演奏したすばらしい動画がありますね。フォーレのシチリアーノは例の有名な曲です。これもアガりすぎてひどい出来だったと記憶しています。
ホルンの友人は、サンサーンスのロマンス ヘ長調で臨みました。ホルンの世界でとても有名な小品です。軽妙なトークをまじえ、健闘していました。そのほか、男声合唱の人と仲良くしゃべれたことや、プーランクのピアノ曲を弾いたピアノの人、また、ギターを弾かれた日本画家の先生などがおられました。日記には、その日本画家の先生の翌1998年の1月15日からの個展の宣伝の絵ハガキがはさまっています。郵便番号の記入欄が5桁です。時代を感じますね。(当時、郵便番号は5桁でした。)
当時の私は22歳になったばかりだということになります。2回目の学部3年生でした。いま、2024年、48歳になって、改めて当時の日記とこの絵ハガキを見て思うことがあります。そこには、立派な日本画が載っています。この先生は、日本画家として生計を立てておいででした。しかし、この日は、私と一緒に、そのホームコンサートでギターを弾いておられました。得意なものと好きなものは違っていて当然なのだ!考えてみれば私だって、得意なものは明らかに数学であり、また、音楽で言えば、フルート演奏よりも、採譜(耳コピ)など楽譜作成などが向いていたことになります。しかし、なんのためにお金を稼ぐのか。好きなものを買い、好きなことをするためではないか!この四半世紀以上前の、ギターを弾くという趣味を持った日本画の先生は素敵でした。そういう人が集まるのが、こういったホームコンサートなのでしょう。
とにかく、私はアガってしまいました。この1997年という年は、最初の本番が、1月2日の、やはり内輪の本番でしたが、クルンプフォルツのフルートとハープのためのソナタを演奏して(ピアノ伴奏ですが)、非常にアガってしまっており、日記では、アガりに始まりアガりに終わる年として締めくくられています。(クルンプフォルツは、ハイドンに作曲を師事した、ハープ界の作曲家です。)
それにしても、12月21日の取手でのヴィヴァルディの「冬」はいい思い出となって残っています。本日の記事は長い昔話でしたね。お付き合いくださり、ありがとうございました!