2000年1月29日にサントリーホールで聴いたとてもいい演奏会(オール外山雄三プログラム)

これは、私がときどき書くクラシック音楽オタク話です。それでもよろしければどうぞお読みくださいね。

都響(東京都交響楽団)で、2000年1月29日に、外山雄三さんの作品だけからなる演奏会が催されることになったのです。指揮は外山雄三さん本人です。私は、1997年に外山さんの指揮する仙台フィルの演奏会を聴いて以来の外山ファンとなっていました。この演奏会はぜひ行きたいと思ったわけです。この日のプログラムやパンフレット、チラシ等は散逸していますが、日記が残っているのと、それから、鮮烈な記憶が残っており、そして、この日の演奏会はCD化されていて買っており、それらからブログ記事を書こうとする次第です。

私は当時、修士課程1年の院生でした。学部に5年いた関係で、東京に住んで6年目、24歳でした。日記には、研究に明け暮れる日々のようすが書いてあります。このころ、修士論文のアイデアは出たばかりでした。

この演奏会より前、フォンテックから「外山雄三オーケストラ作品集」というCDが出ており、それは購入していました。いまでもよく聴く、とてもいいCDです。以下にジャケットの写真をはりますね。(ジャケットの写真のブログへの使用許可は、フォンテックさんからいただいております。ありがとうございます。)

これで、この演奏会の知らせを聞き、私はフォンテックさんに、この演奏会をCD化してくださるよう、ハガキを書きました。当時は、インターネットというものは出て間もなく、携帯電話も一般的でなかった時代です。もちろんSNSはなく、音楽を聴くとしたらCDを買うしかなかった時代です。結果としてこの日の演奏会はCD化され、そのCDは私の宝となったわけです。そのCDのジャケットが、このブログのサムネイルに使われている写真です。

さて、当日の日記を見てみます。少なくとも東大数理の修士課程は、博士課程と違って、けっこう取得せねばならない単位がセミナー以外にもあり、この日は、ある授業のレポートを書いています。夕方から、会場であるサントリーホールに向かいました。席は、P席という、オーケストラの後ろの席です。この日のプログラムを書きます。

外山雄三 交響曲第1番「帰国」

外山雄三 チェロ協奏曲

外山雄三 「ひといろ足りない虹のように」(詩:新川和江)

外山雄三 交響曲第2番

外山雄三(指揮)
堀了介(チェロ)
竹田弥加(メゾ・ソプラノ)
東京都交響楽団

同じP席で、東大オケ時代の仲間2人と会いました。この友人2人は、この前日、同じサントリーホールで行われた、東大オケの定期演奏会も聴いたそうです。お互いに東大オケは卒団しています。私は、東大オケをやめたのが、1回目の学部3年の頭であり、やめてから4年くらいが経過していますが、東大オケの定期演奏会をサボったのは初めてではないかと日記に書いています。その通りです。彼らによると、この前日の演奏会もすばらしかったとのことでした。この日の演奏会も、期待を上回る、すばらしいものでした。その友人たちは、チェロの堀了介先生を聴きに来たとのことでした。了介先生は、当時、東大オケの弦楽器トレーナーでした。私は木管楽器であったため、了介先生のご指導は受けたことがありません。

P席の最前列で、ティンパニのすぐ後ろで、楽譜がよく見えましたが、さすが、作曲者本人が指揮するだけあり、書き直しがけっこうあるのが見えました。

コントラファゴットの山本忠先生(東大オケの木管分奏でご指導いただいた先生)も目の前であり、また、ホルンの笠松長久先生、伊藤泰世先生の姿もありました。伊藤先生はだいぶ前に亡くなられたと思います。

1曲目の交響曲「帰国」は、非常にかっこいい曲でした。外山雄三さんのよさが充分に出ている名曲だと思います。私が最も好きな外山作品のひとつです。のちにCDとなったのは極めてありがたいことで、この24年間、どれほど繰り返し聴いたでしょうか。しかし、生で聴いたときの衝撃は大きく、この曲の生は最高でした。

2曲目のチェロ協奏曲は、この時点で、すでに知っていました。ロストロポーヴィチさんをソロとするライヴ録音が当時からCD化されていて、私は図書館で借りて聴いていたからです。それで、先述の、ティンパニの楽譜の書き直しも見えました。ひとつはっきり覚えているのは、最後の音のティンパニの前打音のようなものが、手書きで消されており、そのロストロポーヴィチさんのライヴ録音では聴こえるティンパニの前打音が、この日は演奏されなかったことです。これは両方とも録音が残っていますので、現在でも聴き比べが可能です。堀了介先生の演奏もすばらしいものでした。

これが終わって休憩となりました。その友人2人と前半の感想を言い合いました。彼らは後半に向けて、もっといい席(前から聴く席)に移動しました。私は引き続き、P席にいました。それで、以下のことが観察できました。

新川和江さんの詩による歌曲で、竹田弥加(たけだ・みか)さんが歌うとき、外山さんが、プロンプターをしているのがよく分かりました。小声で、歌詞を歌手に伝えておられるのです。とても美しい曲でした。終わって、客席におられた新川和江さんのお辞儀も見ました。

最後に、当時、外山さんの最新作だった「交響曲第2番」が演奏されました。日記には「とてつもなく重苦しく暗い曲である」と記されています。当時は2000年で、あと1年弱で21世紀でした。皆さん明るい未来を思い描いていた気がしますが、外山さんのこの曲はとてつもなく暗かったわけです。しかし、ご承知の通り、21世紀は、同時多発テロで始まり、いま21世紀が4分の1くらい終わろうとしていますが、世界的に混乱の続く世の中になっています。外山さんの芸術家としての感性は、極めて鋭かったのだ、と、いま改めて思います。

大変満足しました。帰りは、さきほどの友人と3人で、付近のラーメン屋さんでラーメンを食べています。その友人のひとりはもう勤めていて、会社がこのサントリーホールの近くにあるそうでした。

そして、フォンテックからこの日のCDが発売されました。私のハガキの希望が通ったわけです。そのCDは、この日から半年後くらいの、2000年7月26日に東大生協で買っています。CDにはさんであるレシートが以下です。(東大生協のサービスで、15パーセント引きで買っていますね。)

当日の感動がよみがえるすばらしいCDでしたが、「おや?」と思ったことがあります。新川和江さんの歌ですが、日記にある通り「ひといろ足りない虹のように」という曲名です。CDでは「新川和江の詩による歌曲集」と書いてあり、曲名が違います。そして、私の記憶では、4曲が演奏され、そのうちのひとつが「ひといろ足りない虹のように」という曲名だったと思うのですが、CDだと3曲になっています。このなぞは、ずっと放置されたままでした。このたび、24年ぶりにブログ記事にするに当たり、フォンテックさんに電話し、ジャケットの写真の使用許可を得たわけですが、このなぞについても聞いてみました。フォンテックさんも、当時のことがわかるかたはもうおられないそうで、これはなぞのままです。私の勝手な想像では、CD1枚に収めるために、1曲を省いたのではないかと思って来たわけです。作曲者自身が関わっているCDですし、そのへんは融通が利いたのではないかと。すべては想像でしかありませんが。

外山雄三さんは、2023年に、92歳で、惜しまれつつ亡くなりました。膨大な作品があると思います。さきほどの歌曲も含め、いずれ整理されて出て来るときもあるのではないかと思っています。充実した学生時代の思い出です。

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