5分の遅刻と”放蕩息子”

「5分の遅刻は叱られるが、3時間の遅刻は喜ばれる」という言い方を聞いたことがあります。5分の遅刻は「なにやってるんだ!」と叱られますが、3時間遅刻して現れると「無事だったんだね!よく来たね」と言われて歓迎されるのだそうです。きっと彼は事故に巻き込まれたのだろうとみんな思っていたのに、無事で現れたからです。

聖書に、イエス・キリストが語ったとされる「放蕩息子(ほうとうむすこ)のたとえ」という話があります。財産の分け前を父から生前にもらったある息子が、外国に行って放蕩の限りを尽くし、財産を使い果たすという話です。まことにひどいドラ息子なのですが、彼がボロボロになって帰ってくると、父は彼を大歓迎するのです。これも一種の「5分の遅刻は叱られるが3時間の遅刻は喜ばれる」現象を描いたものと思われ、放蕩息子もここまでひどいと、父は大喜びする、という趣旨の話だと思います。実際、父に忠実に尽くして来た兄が、父が弟をそこまで歓迎するのを見て父に文句を言う場面がありますが、父は「何を言っているのだ、彼は死んだと思っていたのに生きていたのだ。喜ばずにおられようか」と言うわけです。もちろん、その放蕩息子は父に顔向けができないと思っており、もう父の息子と呼ばれる資格はない、と言いながら帰ってくるのです。(普通、こういう息子は永遠に帰って来ませんが、ここでは、彼が財産を使い果たした直後、その地に飢饉が起こり、彼は父のもとに帰らざるを得なかった、という設定になっているわけです。)

私はこのたび、25年前に提出した修士論文を、ようやく出版して、世に問おうとしています。当時、いろいろな先生からお褒めの言葉をいただき、ぜひ出版するようにとおっしゃっていただきました。それから長い年月が過ぎました。3日宿題が遅れるだけで叱られますが、二十数年遅れの宿題を出すわけです。当時、三十代だった先生方も皆さんだいたい六十代だと思います。顔向けができないという気持ちですが、きっと喜んでいただけると思い、出したいと思います。放蕩息子も残りの人生は精一杯父に尽くしたろうと思います。私も残りの人生は限られた時間を大切に生きたいと思います。

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