「ギャップ不審」と「ギャップ萌え」

映画やテレビを見ていて、また、本やマンガを読んでいて、多くのストーリーはいわゆる「ギャップ萌え」で成立していることに気づかされます。ここでいう「ギャップ」とは、ある人物が、異なる人が持つことの多い相互にかなり違う二面を一人で持っている状態を指します。「水戸黄門」では、ごく普通のおじいさんだと思っていた人が実は先の副将軍です。「レインマン」では、何かの病気か障害があるように見える人が、電話帳をまるまる覚えてしまうような、あるいは三桁かける四桁のような計算が暗算でできるような、特殊能力を持っています。このように、多くの物語で、ギャップのある人物が描かれますが、多くの場合、現実的には、「ギャップ不審」と私が呼ぶ現象に悩まされることになります。「ギャップ不審」とは、そのような相互にかなり違う(ように見える)面をもつ人の周囲の人が、不審に思う現象です。たとえば、ごく普通のおじいさんにしか見えない人が実は先の副将軍だと聞いたほとんどの人は、不審に思うでしょう。以下に、つまらぬギャップ不審の例を、私自身の経験から挙げます。

1年とちょっと前、私はこの近所に、当教室のチラシを配っていました。この近所は、ごく普通の住宅地です。郵便受けに1枚ずつ投函しましたが、玄関の前を掃き掃除するあるおじいさんに手渡ししたとき、そのおじいさんはそこに書いてある私の経歴をご覧になり「これはとても立派な学歴ですよ!」と大きな声で二度おっしゃいました。あとから考えてみてわかりましたが、これは「あなた、もうちょっとましなウソをつけよ」という意味でした。確かに「東京大学理学部数学科卒、東京大学大学院数理科学研究科数理科学専攻博士課程単位取得退学」と書いたチラシを、平日の日中から近所の住宅地で、Tシャツ1枚のかっこうで配る塾講師は、ウソつきに見えることでしょう。本当のことを書いているのにウソつきと思われました。これも、その行動とそのチラシに書いてあることのあいだに大きな「ギャップ」があり、それゆえに「不審」に思われるという例でした。(同じように多くの人が不審に思うのに気づき、このチラシ作戦はやめました。)

劇中の話に戻ります。多くの場合、「ギャップ」は「不審」を生みますが(これは当たり前であるゆえに「ギャップ不審」という言葉は通常ない)、これが「ギャップ萌え」となる場合があり、それが物語を生みます。いくつか例を見てみましょう。

「ブラック・ジャック」では、無免許の医師が、非常に有能です。劇中でギャップ不審が起きますが、読者はギャップ萌えしながら読みます。

「E.T.」では、不気味に思える宇宙人が、単に故郷の星に帰りたいと思っているだけの無害で善良な宇宙人です。E.T.は劇中でギャップ不審に苦しみ(無理解な地球人に苦しめられ)、映画を見るわれわれはギャップ萌えします。

「アマデウス」では、天才作曲家が、貧乏です。作曲家は生きているあいだギャップ不審に苦しみ、後世のわれわれはこのストーリーにギャップ萌えしながら彼の作った曲を楽しんで聴きます。

「ドラえもん」は、丸い頭の間抜けな顔をしたロボットで、ネズミを怖がりますが、ポケットから出す道具はいつも強力です。

「ルパン三世」は、どろぼうですから悪いのですが、非常にいいやつであるかのように描かれます。

「魔女の宅急便」では、キキは魔女なのにかわいいです。途中で出てくる犬は、大きくて怖そうなのに親切です。

「バベットの晩餐会」では、フランス革命で国を追われた難民が、非常に有能な料理人です。

「ビューティフル・マインド」では、統合失調症の数学者が、最後はノーベル賞を受賞します。先ほどのレインマンもそうですが、障害をもった(つまり何かができない)人が、あることに秀でているというような話は映画に多いような気もします。

「一寸法師」は、体は小さいが、非常に勇敢です。このように、昔話にも例はあります。

シンデレラは、継母からいじめられるかわいそうな娘ですが、最後は王子様と結ばれます。このギャップに萌えるため、なるべくギャップを大きくするように、最初のシンデレラの状態はできるだけ悪く描きます(非常に貧しく、非常に虐げられ・・・)。これは構造としては「ビリギャル」(成績の低い子が名門大学に受かる話)も同様です。ビリギャルが、最初からけっこう勉強ができたら興ざめでしょう。

聖書も一種のテレビか何かだと考えることにすると、聖書にもギャップ萌えがあります。モーセは聖書では弱々しいおじいさんとして描かれますが、それは、起こす奇跡が力強い(海が割れる)ので、ギャップを大きくするため、弱々しく描かれるのだと気づきます。ダビデもエッサイの息子のなかで最も小さい末っ子ですが、それが大男ゴリアテを倒すわけです(ダビデが力強いエッサイの長男ではおもしろくない)。

聖書最大のギャップ萌えのシーンは、多くの病人をいやし、さまざまなよいことをした、悪いことは何もしていないイエス・キリストが、十字架で処刑されるという場面です。これは先ほどのアマデウスと同じく、よい人がひどい目にあうというタイプの話です。現代でも、たとえば生活苦で生活保護を申請しようとしたら理不尽にも役所で断られたというニュースなど、正しい人が理不尽な目に遭うというニュースは人気があります。

多くの映画、マンガ、テレビ番組等は、ギャップ萌えでできていることを見て参りました。私は古い人間なので古い例ばかりで恐縮です。(あまり現代の例だったり、現実的な例だと、ここに挙げるのにいろいろ支障があるためでもあります。)ほかにもたくさん例を挙げることができるだろうと思います。よろしければ考えてみてください。本日の記事は以上です。

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