ハイドンはなぜモーツァルトをほめるか

これはクラシック音楽のマニアックな話ですが、なるべく多くの人に伝わるように書きたいと思います。

ハイドンとモーツァルトは親子ほど年齢が違います。ハイドンが上です。(ハイドンは1732年生まれ、モーツァルトは1756年生まれ。モーツァルトのほうが先に亡くなった。)モーツァルトの父も作曲家ですが、ハイドンがモーツァルトの父に「あなたのご子息は私の知る限り最もすぐれた作曲家です」と、モーツァルトをほめるという音楽史上の有名なシーンがあります。通常、これはハイドンが人格的に非常に立派だったことを意味するととらえられていると思います。最近読んだゲオルク・ショルティ(二十世紀の大指揮者)の自伝を読んでもそのような文脈でこのエピソードへの言及がありました。もちろん、このように同業者を高く評価できるハイドンは人間として非常に立派です。論語に「己(おのれ) に 如(し)かざるを友とする勿れ」(学而第一8)と書いてありますが、これは私には「立派な人は、能力的に自分をしのぐ人を友達にしていたりするものですよ」というような意味ではないかと思えています。ハイドンは、尊敬に値するすぐれた作曲家であるモーツァルトを友達にしていた、人格的に立派な人だったのです。しかし、私はここでもう一つの見方をしたいと思います。

ハイドンは、生前から大作曲家でした。売れていたのです。モーツァルトは、当時、売れていませんでした。この違いに気づかねばならないのです。現在、この二人はともに大作曲家です。(あえていうと、モーツァルトのほうがより才能に恵まれていたと皆さん思っておられるかも。)「作曲家」という言い方も、現代では、「音楽の教科書に肖像画の載っている芸術家」、というイメージが強いですが、ここは「芸術家」というより「芸能人」というような取り方をしたいと思います。ハイドンはベテランの大物芸能人、モーツァルトは、売れない芸能人です。モーツァルトは、ちょっと前に流行って、フリーランスになったけど、最近は流行遅れになっている売れない芸能人です。(そんな二人のミュージシャンあるいはお笑い芸人さんをイメージして以下をお読みくださればありがたいです。)おそらく当時、ハイドンとモーツァルト、どちらがすごいかといえば、100人中99人(以上)が、圧倒的にハイドンがすごい、比べるのもおかしい、と言うような状況ではなかったかと思います。つまり、ハイドンとしては、いくらでもモーツァルトをほめることができる。もちろんそれはモーツァルトが本当にすぐれているからですし、同業者を公然とほめることのできるハイドンは立派な人格者ですが、ハイドンは、モーツァルトをほめることによって自分の評判がゆらぐ心配はまったくいらなかったのです。

このことに気づくと、ハイドンの他の、モーツァルトをことあるごとにほめるエピソードも見え方が変わってきます。ハイドンがプラハの歌劇場からオペラの作曲を依頼されたとき、ハイドンは、新作を書くことも、自分の旧作(エステルハージで上演された)を改作するのも断り、プラハにいるモーツァルトを推薦したというエピソードがあります。これは確かに、モーツァルトはオペラの大作曲家であり、オペラより交響曲や弦楽四重奏曲など純粋器楽曲に適性を示した(つまりオペラが得意には思えない)ハイドンが、モーツァルトを差し置いて自分がオペラを作曲するのは恐れ多いと、モーツァルトに道をゆずったような(モーツァルトの実力を認めたという)美談のようにとらえられるかもしれません。しかしまず、非常に売れていたハイドンは、仕事を選ぶことができるのです。オペラは音楽劇であり、当時、オペラと言えば、現代の映画かテレビのような娯楽だったと考えられます。ある町からオペラの作曲を依頼されるのは、大きな仕事を頼まれたといえるでしょう。それを断れるのはハイドンが非常に売れっ子の大物だからです。そして、モーツァルトを推薦するのは、もちろんそれほどまでにモーツァルトがすぐれているからですが、まずハイドンには、自分のほうがモーツァルトとは比較にならぬほど地位も名声も収入も上であるという心のゆとりがあるのです。

この二人の音楽にはそれぞれの魅力があります。先ほど少し触れました通り、ハイドンは純粋器楽曲に名曲が多く、モーツァルトはオペラや協奏曲に適性を示しているように私には思えます。音楽のスタイルは非常に似ていますが、音楽の性格は少し異なるようです。本日は、ハイドンがなぜモーツァルトをほめるか、というのを考えて参りました。モーツァルトは極貧のなか35歳の若さで亡くなりました。できれば生きている間に報われたいものです・・・。

(アイキャッチ画像は、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。imslpさんからいただいて参りました。)

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