算数の教科書等に載っている「よく考えると非現実的なお金の計算」

経済学のモデルを数学的に扱う場合に、抽象化をする過程で、現実が忘れられ、危険に陥る場面がときどきあるという話を読んだりすることがあります。私は経済学を専門に学んだことはありませんが、以下のように、小学校の算数の教科書等をよく観察すると気づく、現実と乖離したお金の計算があります。もしかしたらわれわれがお金の計算で、小さいころからだまされている話かもしれないとも思います。2点ほど、ご紹介したいと思います。
かつて私が住んでいたところの近くの薬局で、カップアイスが1個だいたい100円で売っていました。(「スーパーカップ 超バニラ」です。)これは、2個なら200円ですが、3個が必ずしも300円でないのです。3個はお買い得価格で、300円よりやや安いのです。こういう売り方はしばしばあります。たくさん買うと、単価が安くなる現象です。「チータラ」も「お徳用」を買うとたくさん入っています。どうしてこうなるのかを、以下のように考えてみます。
私はかつて、学校図書館の司書をしていました。図書館は3階にありました。3階から1階に下りて、3つの用をこなして、再び3階に戻る場合ですが、要領の悪い私は、3往復してしまい、上司に叱られることがありました。つまり、一般には、3つの仕事をいっぺんにやる場合の仕事の量の和は、ひとつひとつの仕事を別にやる場合の仕事の量の和よりもやや小さい、ということです。
アイスを作るのに、どのような手間、つまり、どのような人件費がかかったでしょうか。牛乳から作られているなら、牛の乳をしぼる手間、牛を育てるためのえさ代や、牛舎の維持費がかかり、紙のパックを作るには、誰かがどこかで木を切っており、それを運んで加工して紙にしています。運搬する人への賃金、冷蔵するための電気代、そして売っている薬局で働く店員さんへの賃金まであります。それらの手間賃の合計と、それぞれの人が取った利益をあわせて、1個100円のアイスとなるわけです。ここで、先ほどの議論から、アイスを1個運ぶのの3倍の手間が、アイス3個を運ぶときにかかるわけではありません。これが「まとめ買いはお得になる」という現象の根本にあるのだろうということに気づきます。
(しかし、最近、以下のようなことがありました。割れたせんべいをたくさんまとめて売っていました。まとめ買いだから当然割安なのだろうと思って手に取り、よく観察すると、どうも個別に買った場合と変わらないか、むしろ割高なくらいでした。さらによく観察すると、そのせんべいはわざと割ったようにも見えます。こういうおかしな商売には気をつけねばなりません。)
小学3年生の算数の教科書に、以下のように「お金の初出」の場面があります。「3個で60円のチョコレートがあります。1個分はいくらですか」と書いてあって、チロルチョコのようなチョコが3個、袋に入ったイラストが載っています。これは、わり算の問題で、60÷3を計算するものです。答えは1個20円ですが、先ほどから見ております通り、3個60円のチョコは、3個お買い得価格で60円なのであり、1個20円では買えない可能性が高いわけです。
この現象(複数の商品を買う場合、その価格は、それぞれの価格の和よりやや小さい)は、きっと専門的に名前があるのだろうと思いますが、経済学を専門的に学んだことのない私はその用語を知りません。ただ、これに気づきますと、小学校の算数の教科書は、商品の値段は個数に比例する(商品の個数から値段への写像は線形である)という仮定で書かれていることに気づきます。確かにこの小学3年生の「お金の初出」では「1個『分』はいくらですか」と言っており「1個20円では買えないが、1個『分』は20円である」という余地を残した書き方となっています。しかし、このあと、例えば5年生で「小数のかけ算」を習うときに出る「1メートル80円のリボン」の箇所では、リボンの長さと価格は完全に比例すると仮定した上での議論が展開されています。教科書とは、「教育的配慮のなされたフィクション」なのでしょうか。
もうひとつ、教科書に出てくる、お金にかんする話です。4年生の「概数」を習う場面での問題です。「お店でサッカーボールとシューズが売られています。サッカーボール 2,470円 シューズ 3,610円」と書かれ、あわせてだいたいいくらか、いくら持参すれば買えるか、というのを考えることになっています。四捨五入して概算するとだいたい6,000円です。しかし1円単位で計算すると合計6,080円であり、微妙に6,000円では足りないので、四捨五入よりはこういうときは切り上げで概算したほうがいい、という教訓が書かれているわけです。これは(先ほどのチョコの例とは違い)ほとんど問題ない例ですが、現実的に考えると以下の視点があります。スポーツ用品店で買うとこのような計算になるでしょうが、個人商店で買う場合で店主と親しい場合、あるいはスポーツ用品店で買う場合でも、社長と親しく社長から直接買う場合は、もしかしたら、80円くらい足りないのはおまけしてくれて「練習がんばってね」と言って売ってくれる場合もあるだろうということです。お金というものの本来の意味を考えると、こうなります。1円でも足りないと売ってもらえないのは、その店員さんが社長から雇われた社員だからです。(このような「もし社長がこの場にいたらもっと融通が利くだろう」と思う場面は日常生活でもしばしばあります。)
以上です。経済を抽象的に計算しすぎる危険性の根本には、こういう、現実世界をあえて抽象化してある算数の時代からの錯覚があるのかもしれない、と思う次第です。
