そして山に登った。そしてみんなでお弁当を食べた。—「そして」の続く小学生の作文と私の論文—

私の修士論文(低次元トポロジー。数学の論文)は、2001年に東大数理に提出されました。今回、ようやくそれをまとめて、arXivで公開したわけです。論文執筆における当時の三大難所は「図」「TeX」「英語」でした。
私の修士論文に書かれた研究は、たくさんの図を用いて説明されますが、当時、図はアドーブ・イラストレータ(アドビ・イラストレータ)というものでかきました。機械おんちで不器用な私には大変なことでした。今回は、キャンバというものでかきました。現在、アマチュアである私は、フリーのソフトを使わざるを得ません。しかし、今回、書き上げてみて、当時の先生方に見ていただき、図も含めて読みやすいと言っていただけており、ほっとしています。もともとの私の論文はかなり読みにくかったのです。
TeXというのは、組版のソフトです。2001年というのは現代のように何でもインターネットに載っていたわけではありません。ひとつ例を挙げますと、2003年に私はN響のコンサートに行こうとしたとき、N響のホームページの情報は間違っていて、私は指揮者の外山雄三さんのホームページを見つけてそこから情報を得たということがありました。現代は、(数式等を)TeXでどう書くか、という情報はインターネットにたくさんあります。当時は、乙部厳己さんという方の書かれたぶ厚い本を読んでどう書くかを調べねばなりませんでした。当時の記憶で、可換図式の書き方がどうしてもわからなかったことを思い出します。また、当時、自分の書いたものを見ると、「Ker f」のようなもののKerが斜体にならないような書き方もわからなかったわけです。現代の私は、introductionに表を載せるとき、表そのものもChatGPTさんにコードを書いてもらったわけです。きちんと説明すると一発で書いてくれました。
英語が最も大きな難所だったかもしれません。数学の論文の英語は「ナントカ is カントカ」という程度の、わりと単純なものが多いのですが、それでも、複雑な状況を説明するときは、複雑な英語を使わざるを得ません。たとえば、「両方とも」(both)とか、「各」(eachとかeveryとか)のような語を使って、数学的に正確に物事を伝えるのは私には至難です。当時の私の英語は相当にひどいです。現代は、機械翻訳が非常に発達しています。無料のGoogle翻訳を使っても、あるいは先ほどのChatGPTに聞いてみても、かなりいい表現が得られました。例えば、(以下は数学的な内容ではなく人間的な内容なのでよりAIの提案が役立ちましたが、)introductionにある謝辞で、「2025年11月から長谷川先生は[F](修士論文)が出版されるように励ましてくださり」の英語化で、「Since November 2025, he has encouraged me to publish [F]」というふうに提案してきた上で、AIは「このように現在進行形を使うと、先生が励ましてくださったのは過去に一回ではなく、いまも励まし続けているという意味になるがそれでよいか」と言って来ました。その通りなのでこの表現を採用しましたが、このような微妙な英語の意味については、辞書しかなかった時代の私には困難な表現上の判断であり、こうしてずいぶん現代文明のお世話になって論文を書き上げたわけです。
当時の私の論文の英語で、顕著な特色があります。あらゆる文を「And,」でつないでいるのです。これは自分で読んでも稚拙な表現です。この記事のタイトルにも書きましたが、小学生の作文で「そして山に登った。そしてみんなでお弁当を食べた」というような、あらゆる文が「そして」でつなげてある文体の類であるわけです。これに近い有名な文学作品があります。新約聖書のマルコによる福音書です。ほとんどの文が「そして」でつながっています。逐語訳であるという田川建三さんの訳で一部をご紹介します。
見よ、種まく者が蒔くために出て来た。そして蒔いている時に、ある種が道のところに落ちるということがあった。そして鳥が来て食べてしまった。そして他のものはあまり土のない石地に落ちた。そしてすぐに、土が深くないので、芽が出た。そして太陽が出ると、焼けて、根がないので枯れた。・・・
ほとんどの文が「そして」で始まっています。この作品はギリシャ語で書かれていますが、著者のマルコにとって、ギリシャ語は外国語だったのだそうです。マルコによる福音書は、非常に知性の高い人物の書いたすぐれた文学作品ですが、このように外国語で書いているゆえの、表現の稚拙さのようなものがあるわけです。
私の今回の論文は、多くの箇所で修士論文を踏襲したため、そのような英語の表現の稚拙さも少し引きずっています。その「And,」の連続する箇所も残っています。一方で先ほど書きましたように、AIに提案してもらった流暢な表現もあるため、私の論文を英語が母国語の人あるいは英語の得意な人が読まれると、幼稚な英語表現と流暢な英語表現の入り混じる妙な文体に思えるのかもしれません(笑)。
とにかく、「図」「TeX」「英語」の当時の三大難所はこのたび現代文明の力を借りてクリアし、大分読みやすい論文に仕上げることができたような次第です。
