読む人がいないと書けない

2001年に東大数理に提出した修士論文をまとめた論文を執筆しました。元指導教官の先生にも目を通していただいて、書き上げました。修士論文と数学的な内容は本質的に変わらないのですが、図も含め、大分説明が詳細になりました。

修士論文の第二部の定理のもともとの証明は、修士論文に載せていませんでした。そのもともとの証明が書かれたノートが、今年に入ってから、古い段ボール箱から出て来ました。これは、別の論文として準備しようと考えています。しかし、最初、この論文の執筆にとりかかろうとしたとき、うまくモチベーションが保てないような気がしました。「読む人がいないと書けない」という例の現象を思い出したのです。以下のような、数年前の経験です。

ある人に、星くず算数・数学教室のホームページを作ってもらっていました。作ってもらっている最中のあるとき、そのホームページ制作者から、サンプルのブログを5本くらい書いてくださいと言われました。私は、noteでもブログは書いてきていましたので、すぐ書けると思ったのですが、書けませんでした。読む人が想定できないとブログは書けないことに気づかされたのです。

エルガーという大作曲家がいます。エルガーは、奥さんに聴いてもらうことなしに作曲はできなかったそうです。作った曲をピアノで奥さんに聴いてもらい、作曲していたそうなのです。エルガーは、奥さんに聴いてもらうことなしに作曲はできなかったのだろうと思います。実際、奥さんに先立たれたエルガーは、作曲ができなくなったようです。奥さんを失いやる気を失ったというわけではない証拠に、指揮者としての活動は奥さん亡きあとも続けたそうです。エルガーには「愛のあいさつ」「威風堂々第1番」などの親しみやすい有名な曲もありますが、確かに「交響曲第2番」のような晦渋な曲(しかし非常な名曲)は、奥さんに聴いてもらわずにはモチベーションを保って作曲できなかったのかもなあ、と思います。

私は料理ができませんが、料理を作る人も、食べる人を想定できなければ作れないような気がします。先ほどのホームページ制作者にしても、誰も見ないホームページはきっと作れないのだろうというふうに思います。私の「自伝風の読み物」という題の、幼少のころの数学的な体験を記した書物も、長谷川浩司先生という聴き手を想定して初めて書けたものです。

その、古い段ボール箱から出て来た当時の証明ですが、当時の指導教官の先生は、私のセミナーでの発表を、おもしろく聴いてくださっていたように思います。今書いている論文は、当時の指導教官の先生にもう一度お楽しみいただこうというモチベーションで、執筆しています。

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