笑点の観覧が当たったときのお話
この数学ブログでも、たまにはくだらない話をいたしましょう。笑点という演芸番組はおそらく多くの人がご存知でしょう。いい答えを言うとざぶとんがもらえる、あの番組です。いまからちょうど20年前、27歳のときに、私は笑点の観覧が当たったことがあるのです。そのときの思い出を書きたいと思います。
当時から、ときどき、笑点の観覧の申し込みはしていましたが、まず当たらないのでした。少し考えた私は、ある、お笑いの大好きな20歳の女性を仲間に入れて、彼女の名前で2名分を申し込んだのです。すぐに当たったわけです。
さて、ところが、彼女は学生寮の演劇の練習があって、どうしても観覧に来られないのでした。入場にあたり身分証を見せねばならないことはありませんでしたので、私は「お笑いの好きな」「20歳くらいに見える」女性の友人を探し始めました。思いのほか、お笑いの好きな女性はいました。ぜひ行きたいというかたも少なくありませんでした。しかし、どうしてもその日に都合のつく女性がおいでにならなかったのです。ようやく都合のついた人は、20歳ではなく私と同じ27歳であり、さらにはまったくお笑いに関心のない女性でした。申し訳なかったです。私だって、いかに貴重なチケットであろうと、まったく関心のない、サッカーの試合に何時間も突き合わされたら、嫌になると思います。
会場は、後楽園ホールではありませんでした。普段、笑点は、後楽園ホールで収録されていると思うのですが、われわれが当たった回は、お正月特別番組であり、確か市ヶ谷の日テレで収録が行われたのです。入場して最初にやったことは「拍手の練習」でした。カメラに映らない左右の箇所に、人が立っていて、その2人が腕をぐるぐる回すのに合わせて拍手をするのでした。テレビの拍手がなぜそんなにそろっているのか、理由がわかりました。
そして、おもむろに「若手芸人大喜利です」というアナウンスとともに、いきなり若手芸人大喜利が始まったのでした。当時、「なんでだろう」で非常に流行っていた、テツandトモが飛び出して来ました。まだカメラは回っていません。しかし、テツさんとトモさんは、張り切って飛び出し、観客のわれわれを楽しませてくれたのでした。これに限らず、最も驚いたことが、芸人さんというものは、カメラが回っていようといまいと、そこにわずか百人いるかいないかの観客がいる限りは、徹底的にわれわれを笑わそうとしてくれるということでした。
ほかに、若手芸人大喜利に出ていたと記憶する芸人さんは、ダンディ坂野、パペットマペット、マギー審司、はなわ、といったところだったと思います。20年前に非常に流行っていた芸人さんたちですね。司会は小遊三さんと楽太郎さんでした。非常に楽しい時間を過ごしました。あとからオンエアを見て思ったのですが、かなりおもしろかったと思う答えでも、カットされているものはけっこうあるのでした。カットされた答えとして、はなわさんが、ベースを弾きながら、当時、「SAGAサガ」と歌っていましたが、それの替え歌で、「歌丸師匠は、HAGEハゲ」と歌ったら、楽太郎さんが「ジジイだと?1枚持っていけ!」と言い、ざぶとんを取られていくシーンでしたが、これが放送されませんでした。優勝はダンディ坂野でした。
お正月スペシャルは、さまざまな大喜利をやります。振りそで大喜利というものがありました。振りそでの女性タレントと、レギュラーの大喜利メンバーが対になって、大喜利をするのです。泉ピン子さんや、山田花子さんを覚えています。そのほか、当時、人気のあった女優さんやアイドルさんを見たと思います。
じつは、セットを交換するのにかなりの時間を要するのです。そのあいだ、われわれはひたすら待たされます。そのあいだを埋める落語家の話を聴いている時間が最も長かった気がしています。前半は愛楽さんのお話でした。後半は、名前は忘れましたが、歌丸さんのお弟子さんの落語家さんでした。
レギュラーメンバーによる大喜利も見ました。どれくらい前の話かと言いますと、先般、亡くなった円楽さんの、さらに前の、面長の円楽さんが司会をしていたころです。木久扇さんはまだ木久蔵さんという名前だったと思います。そして、楽太郎さんがいて、こん平さんがいました。
これも、やはり、カメラが回っていないときの落語家さんのサービス精神の旺盛さに驚かされました。当時、解答者だった歌丸さんなど、カメラが回っていようといまいと、ずっとおもしろいことを言っていました。皆さんそうでした。
こん平さんは、「視聴者参加型あいさつ」をしました。「1、2、3」と言ったあとに、観客も含めてみんなで「チャラーン!」と両手を挙げるのです。しかし、これは失敗しました。事前に練習がなかったため、バラバラになってしまったのです。先ほど書いた、セットの組み立てのあいだに話す落語家が、ちゃんと練習をすべきだったのです。もちろん、私に同行してもらった、お笑いに関心のない友人など、ついていけるはずはありません。しかし、オンエアではちゃんとうまくいっていました。そこはテレビはうまく合成するのでしょう。
そして、テレビで見る以上に、皆さんの手を挙げるスピードは速かったです。当時の司会の円楽さんの指すテンポが速かったこともあるだろうと思います。歌丸さんが木久蔵さんの真似をして「ここで逢うたも何かの縁…」と言った答えには笑いましたが、オンエアではカットされていました。それから、山田くんは、ざぶとんを配ったり取ったりするのでひんぱんに出入りがあるわけですが、解答中の落語家の後ろは通らないようにしているのでした。これはテレビで見ていてもわからない点ですね。
やはり驚くのは、司会の円楽さんのおもしろさです。よくテレビでは、寝ながら司会をしているなどと言われていた円楽さんですが、カメラが回っていないときに聞かせてくれた話のおもしろさは抜群でした。3問目の前に、円楽さん以外が、「干支」に着替えるタイミングがありました。不自然に、円楽さんとわれわれ観客だけが舞台に長く残されました。このとき、円楽さんは小噺をしてくれたのです。思いがけず円楽さんの落語が聞けてしまいました。これはかなりラッキーなことであったようです。とにかく皆さんのサービス精神の旺盛さに圧倒されました。
大喜利以外の演芸を見ることが少なかったですが、お正月放送ではなかった収録で、大空遊平・かほりの漫才を聞くことがありました。それ以外の出し物の記憶はありません。
最後に、東西大喜利の収録がありました。関西の落語家がたくさん登場し、大勢で大喜利をやるのです。西日本の落語家は誰が出ていたか、ほとんど覚えていないのが情けないですが、強烈な印象を残したのが、笑福亭松之助さんでした。なんだかわかりませんけどとにかくおもしろかったのです。新年の抱負という問題で松之助さんは「今年はゴールデン番組の司会者になるぞ!弟子のさんまにゆずってもらいます」と言って爆笑を誘っていました。
とにかく長かったですが、充実した時間でした。かえすがえすも同行してくれたお笑いに関心のない女性には申し訳なかったです。本日のブログは以上です。