自伝風の読み物 ㉖ 向き

大学に入ってから、ここまで書いて来たようなクリエイティヴなエピソードはほとんどなくなります。急にいろいろなことをものすごいスピードでたくさん習うようになったからです。いま当時を思い出してみますと、とても自分で新しいことをときどき思いつきながらゆっくり学ぶというようなペースではなくなったのでした。確かに、多様体にしても、ホモロジーにしても、微分形式にしても、双曲幾何にしても、「最初に考えた人は、よく思いついたな」という、ものすごい発想ばかり学びました。クリエイティヴなエピソードは、残りはもう修士論文だけです。その前に、この「自伝風の読み物」に記す唯一の学部時代の小さな思い出として、向き(orientation)の話を書きます。
向きというものを習ったとき、漠然と、3次元で向きは2つあるのだから、4次元では向きは4つあるのだろう、と思いました。しかし、よく考えてみると、4次元でも向きは2つなのでした。1次元で向きは2つ(正と負)、2次元でも向きは2つ(オモテとウラ)なのですから、何次元でも向きは2つでした。自分を恥じました。
しかし、向きというものを学んでみると、自分が向きというものを考えたのはこれが初めてではないことに気づかされます。以下の話はまた高校以前のものになりますが、いつの時代のものか、はっきりしません。「鏡に映ったものはなぜ左右が逆になるのか」という問いです。
この問いは、小さいころ、本で読みました。鏡で写したものが、上下逆ではなく左右逆になることの理由について、その本は「人間の目が横に並んでいるから」と書いていました。どうもおかしいです。その本の挿絵には、縦に2つの目がついた化け物がいて、それを鏡に写して、上下が逆になった絵が描いてありました(おおよそ以下の絵)。いかにもおかしな絵です。これを描いた挿絵画家もおかしいと思いながら描いたのではないか。

この問いにきちんと答えるのには何年もかかりました。どれくらい考えたのか、あるとき以下の結論に達しました。これは人に言って納得してもらえたことがありません(向きを知っている大学時代および大学院時代の人には当然通じたでしょうが言ってみていません)。人間を鏡に写して、左右が逆になったように見えるのは、人間が左右対称(あるいは、「左右交換可能」)だからです。
ここで「左右交換可能」とは、右と左を入れ替えても再びそれが人間と認識できるという意味で言っています。
私という人間を鏡に写します。鏡に写った像をまた人間であると認識しようとします。すると、それは人間だと見なすことが出来、その像は、左右が逆になっているのです。頭が下にあり、上に向かって2本の足の伸びた人間はいません。また、背面に顔があり、前面に背中のある人間もいません。ただ、人間は、左右を入れ替えてもまた人間であると認識できるのです。以下のような例を挙げます。上下対称だが左右対称でないもの、「巨」という漢字を考えます。以下の図のように、「巨」の字の上にバツ印をつけておきます。これを鏡に写します。写った像を再び「巨」という字であると認識することにします。するとその像は「巨」であると認識でき、上下が逆になっています(さっきのバツ印は「巨」の字の下にあるはずです)。

次に、上下対称でも左右対称でもない字、ひらがなの「あ」を考えます。これを鏡に写し、その像を再び「あ」と認識できるかというと、できないはずです。
上下対称でないが左右対称である文字「A」を鏡に写せば、左右が逆になります。世の中にあるものは人間に限らず、草花でも犬でも猫でも、家や車のような人工物でも、大概は左右対称(左右交換可能)であるため、鏡に写ると左右が逆に見えるのでした。
ここまでは子供のころの理屈です。(「自伝風の読み物」に書いた他の話の多くもそうですが、なかなか人に言って通じる話ではないわけです。)以下に、大学4年のときの話を書きます。1998年のことです。以前、㉑に書きましたが、当時、東大の数学科では、院試を迎える学部4年生に向けて、「概説」という、先生が1回につきお二人現れて45分ずつご自身の専門の説明をされるという授業が必修であったのでした。15週とするなら30人の先生が登場なさったことになります。その中で、3次元多様体のお話をされた先生がおられました。宇宙を3次元多様体と見て、天文物理学の先生と共同研究をなさっているお話が出ました。宇宙の曲率を測るため、地球から(太陽系から?)見て等距離にある星の個数を数えておられるのでした。「今のところ宇宙の曲率は限りなく0に近い」とおっしゃっておられました。これは三十年近く前の話ですから、現在の研究がどうなっているのか私にはわかりません。
この「概説」という授業では、30人の先生のうち2人の先生にレポートを書かねばなりませんでした。私はそのうちのお一人をこの先生にして、以下のようなSFを書き、レポートとしました。宇宙が向き付け可能でない3次元多様体であったとしたらどうなるか、というお話です。おおまかなあらすじしか覚えていませんが、だいたい以下のような話です。
ある宇宙飛行士がロケットで宇宙に行き、帰って来ました。その宇宙飛行士から見て、地球は以下のように見えます。日本列島の東に日本海があり、東京の東に大阪があります。日本に着くと、車は右側通行となっており、あらゆる看板の文字は裏返っています。逆に、ずっと地球にいた人からは以下のように見えます。宇宙から帰って来たロケットのボディーの文字は裏返っており、ロケットから降りて来た宇宙飛行士は、もともと右ほおにあったほくろがなくなっていて、代わりに左ほおにほくろがあります。右利きだった宇宙飛行士は左利きとなっていて、左手で裏返った文字を書きます。レントゲンを撮ってみたら、心臓が右にありました。
落ちは以下のようにしました。タンパク質には向きのあるものがあると聞きます。この宇宙飛行士は、向きのあるタンパク質が摂取できなくて栄養失調で死ぬのです。
現時点で考えてみますと、このレポートは、宇宙と3次元多様体について真剣に研究しておられる先生に、大変失礼であったのではないかと恐れますが、先生は単位をくださいました。
本日の「向き」の話はここまでです。「自伝風の読み物」というシリーズは、このあと書いた修士論文に触れて、終わりとなります。
