「きっと大丈夫」

最近、私はあるかたから「きっと大丈夫ですよ」というお励ましの言葉をいただきました。これから私は大まかには上昇するというお励ましです。似たようなものに「大丈夫。たいていのことはなんとかなる」という言葉もあります。共通するのは「絶対大丈夫」と言わないところです。

「キットカット」というお菓子があります。私が教員の時代、よく受験シーズンに配られていました。「きっと勝つ」という意味がこめられていると考えられます。「絶対勝つ」というより励ましになるのはなぜでしょう。

教員時代、私が公用のメールを私用で使おうとしたとき、私を激しく叱った人物がいます。その人の周辺で、公用のメールを私用で使ってクビになった人がいたらしいのです。「ゼロにしろ!」とその人は言いました。疑わしい行為はゼロにしろ、と言いたかったらしいです。しかし、ゼロにすることなどできるのでしょうか。確かに、あらゆる一時停止ですべて一時停止していれば、一時停止をしなかったということでお巡りさんに見つかって罰金を取られることはゼロになるのでしょう。しかし、未来に起きる地震ひとつとっても、災害をゼロにはできないのが人間です。

「きっと東大に受かるよ」と励ます代わりに「絶対に東大に受かる」と言うと、果てしないプレッシャーを感じます。「落ちる可能性をゼロにしろ」です。人間に「ゼロにする」ことはできないと思います。

イエス・キリストは最後の晩餐でぶどう酒を取り、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言いました(新約聖書マルコによる福音書14章24節)。イエスは「すべての人のため」とは言いませんでした。「多くの人のため」と言いました。ここにイエスの、そして福音書記者マルコの「人間の真実を見る目」が感じられます。

「重なり合う時の流れも きっと きっと きっと 追い越せる日が来るさ」

コブクロの「蕾(つぼみ)」から歌詞を引用しました。この「きっと きっと きっと」という歌詞を「絶対、絶対、絶対」に変えて歌ってみてください。えげつなくなると思います。

「きっと大丈夫」という励ましの言葉には力があります。それは、「だいたい大丈夫だ」という、大ざっぱな、おおらかな賢さが秘められています。「おおらかさ」こそは、人間の真の賢さであるわけでした。

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