あらゆる障害は多数派か少数派かの違いである

いまから7年前、2016年の5月、40歳のときに、私に発達障害の診断がくだりました。自閉症スペクトラム障害(ASD)と注意欠如多動性症候群(ADHD)です。以来、障害とは何かということについて、ずっと考えて参りました。私の今の考えはとてもシンプルです。障害とは、多数派か少数派かの違いに過ぎないのです。これは身体障害でも知的障害でも精神障害でも言えます。以下に少しずつ例を出しますね。

サヴァン症候群という言葉を聞いて理解できなかった私は、知人から本をすすめられて、ダニエル・タメットさんの本を2冊、読みました。タメットさんは、円周率を小数点以下2万桁(正確には2万何千桁だと思いますが、忘れましたので、以下「2万桁」と書きますね)覚えて、当時のヨーロッパ記録をぬりかえて、有名人になりました。「円周率を2万桁も覚えられるのはすごい」とお感じになると思いますが、もし、円周率を2万桁覚えられる人が多数派であるならタメットさんは「普通の人」であり、円周率を2億桁覚えられる人が多数派であるならばタメットさんは「たった2万桁しか覚えられない障害者」ということになるでしょう。こんな感じで、「障害」と言われているものは、多数派との比較なのですね。もう少し例を挙げますね。

私は睡眠障害を持っています。25歳の大病以来です。夜は大量の薬を飲まないと寝付けない。昼は眠くて眠くてしようがない。夜になると目がさえてきてしまう。これを22年くらい、続けてきております。多数派の人は、7時間くらいの睡眠時間があればだいたい普通に生活ができます。それを暗黙の前提に世の中はまわっていますので、私みたいに10時間くらい寝ないときつい人間にとっては、これは「障害」となるわけです。私は勤め人であったころ、必死になって緑茶やコーラのペットボトルを飲んで、目を覚まそうと努力していました。私は「起きているだけですごかった」のです。しかし、誰も私に「きみ、起きているだなんて、すごいね!」と言ってほめてくれる人はいませんでした。「起きている」ことは当たり前だったからです。

私は絶対音感を持っています。しかし、もし絶対音感を持っている人が多数であるなら、それが前提で世の中は回っているはずであり「ソの音が鳴ったら佐川急便で、レの音が鳴ったらヤマト運輸ですよ」という会話が日常になっていて、絶対音感のない一部の人は障害者と呼ばれているでしょう。私はまた色弱と言いまして、色覚障害も持っていますが、ひんぱんに「そこのオレンジのやつ取って」と言われて往生しています。私にとってオレンジ色と黄緑の区別をすることは極めて困難です。

障害者福祉に頼るようになって6年くらいがたちます。障害者福祉の相談員のかたから聞きましたが、1+1はわかるけれど、2+2はわからない人がいるそうです。こういう人を知的障害というわけですが、なぜかと言いますと、世の中の多数派は、2+2は4であると理解できて、それを前提に世の中がまわっているために、2+2がわからない人は不便をするために障害と言われるのです。逆に、sin30°がわからない人を知的障害とは言いません。なぜなら、sin30°などというものは、学生時代以来、忘れている人がほとんどなので、sin30°がわからなくても困らないように世の中が回っており、障害を感じないからなのです。「2+2がわからなくて世の中がまわるだろうか」とお思いになるかもしれません。しかし、鳥の世界は成立しています。また、われわれ地球人よりはるかに高知能の宇宙人みたいな人から見たわれわれ地球人は、環境問題ひとつ解決できない障害者であって、とても地球を任せられないのですが、地球を任されています。

身体障害で例を挙げますね。片腕のない人を障害者と言います。それはなぜかと言いますと、多数派の人は腕を2本持っており、世の中は暗黙のうちに腕が2本あることを前提にまわっており、腕が1本の人は思わぬところで不便(障害)を感じているはずだからです。具体的に私は腕が1本の人がどういうところで不便を感じておられるのかを知っているわけではありませんが、きっといろいろな不便があることでしょう。

われわれ全員は空を飛べません。その意味ではわれわれ全員は障害者です(ある、車いすの人がそうおっしゃっていたと友人から聞きました)。しかし、われわれが空を飛べないことで障害を感じない理由は、みんな空を飛べないので、空を飛べないことを前提に世の中がまわっているからです。もしもほとんどの人が空を飛べたら、建物に階段やエレベータはなく、みんな5階でも10階でも空を飛んで上って行くでしょう。そして、空を飛べない一部の人は障害者と言われているはずです。建物に階段をつけることを「バリアフリー」と呼んでいるでしょう。

このように、多数派、少数派という観点から「障害」というものをとらえることができます。多数派、少数派という考え方は障害以外にも有効です。3人の人が集まり、うち2人が理解できないことがあったら説明した人の説明力不足となり、1人だけが理解できなかったら理解できなかった人の理解力不足ということになるではないですか。私は47歳の無職です。ハローワーク的には高年齢のうちに入りますが、60代の人は私のことを「若い」とおっしゃいます。ご自分より若いからです。「○○大学は低学歴でしょうか」という問いも、どこを標準として見るかに依ります。そのようなわけで、あらゆる障害がこれで説明可能です。多数派を健常者と呼び、少数派を障害者と呼んでいるだけなのです。すべては個人差です。

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