実感を伴う数

半年くらい前、近所のショッピングモールで、室内楽のミニコンサートが行われるのを知りました。興味を持った私は、聴きに行きました。平日の昼間でしたが、けっこう人はいました。吹き抜けにパイプ椅子が並べてありました。これは何脚くらいあるのだろう。私は、教員時代を思い出しました。私は、教室に、40脚くらいの椅子と机が並んでいる状態は、実感を持っているのです。その吹き抜けを見渡して、教室よりは多そうだと思った私は「60脚くらいだな」と思いました。

摂氏(℃)の定義を聞いたとします。水が凍る温度が0°で、水が沸騰する温度が100°で、その間を100等分したものだと。しかし、それを宇宙人に伝えたとして「きょうの気温は36度ですって。暑いですね」と言って通じるものではないと思います。数の定義を知っているのと実感を持っているのは違うからです。同じ36度でも、お風呂だったらぬるい温度であり、体温だったら平熱です。これは、実感を伴っていないと意味をなさないわけです。

私自身が、定義を知っていても実感の伴っていない数の例として、偏差値があります。偏差値は、(偏差)/(標準偏差)×10+50であることは知っています。教員時代、ときどき「100人がテストを受けて、99人が100点で、ひとりが0点だと、その0点の人の偏差値は-50」とか「100人がテストを受けて、99人が0点で、ひとりが100点だと、その100点の人の偏差値は150」みたいな計算をやってみせていました(興味のあるかたはやってみてください。暗算でも概算はできます)。しかし、私は偏差値の実感を持っていないのです。高校時代、その高校は偏差値を用いず、学校の先生の作るテストの点数そのもので進路指導を行う学校だったこともあり、「偏差値いくつ」と言われてもぴんと来ないのです。教員だった時代もときどき生徒さんから「先生の学生時代の偏差値はいくつでしたか」と聞かれ(これはたぶんに私をバカにする意図もあったと思います。私は授業のわかりにくいダメ教員でしたから)、知らないと答えると信じられないといった反応をされたものです。しかしいまだに私は偏差値の実感を持っていません。定義は知っているのですが。

2022年に仕事を失った私は、さまざまな方法で稼ごうと試行錯誤していました。採譜といって、音楽を耳にして、それを楽譜に起こす仕事で生計を立てようかと思った時期もあります。ココナラでやっていました。いまも店じまいをしたわけではありませんが、ほとんどご依頼はなくなりました。お見積りで、しばしば完コピの1曲が20,000円になったりしました。これは、最低賃金(私の住む地で、当時、時給1,000円弱でした)並みの労働と考え、ココナラの取り分や著作物使用料も逆算すると、そのような金額となるのでした。しかし、大概のお客様は、楽譜の相場をご存じで(いまヤマハの「ぷりんと楽譜」を見たところ1曲で480円とか)、相場と2桁違う私の見積りにびっくりして、去って行かれることが多いのでした。これも、20,000円というのは「世界に一部だけの楽譜の出版」になるから高いのでありまして、これが100部売れれば、1部200円になるわけです。これも実感の伴った数というべきでありまして、楽譜が1部20,000円したら、多くの人は「高い!」と思われるということでしょう。

このように、数にはいろいろ実感というものがあります。小学4年生の算数の教科書に、「安全な学校生活を送ろう」という、統計に関する単元があり、保健室に届けられた1週間のけがのデータが載っています。学年やけがの種類、どの場所で起きたけがか、などのデータです。こういうのは、養護教諭の先生が見たら、たとえばこの学校の規模がどれくらいなのか、など、感覚的にすぐわかるのだろうという気がいたします。このような記事を書きながら、私はあまりにも実感を伴わない数が多いことに気づかされます。20年くらい前に肝臓の値が高くなって1か月くらい仕事を休んだときも、「肝臓の値」に実感がわくことはありませんでした。血圧もよくわかりません。湿度もよくわかりません。冒頭に挙げたショッピングモールでの室内楽のミニコンサートの椅子の数は、珍しく実感を伴って「60脚くらいだな」と言えた例なので、半年も前の例ですが挙げたわけです。ただし「ショッピングモールの無料室内楽コンサートでこのくらいの入りはどの程度の効果があるか」等はやはりわからないわけです。算数の勉強をしておりますが、世の中は知らないことだらけだと思わされますね。

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