本人ががんばったらがんばった

本日のブログの題は、あたかも教育評論家が子供に関して親に言っているかのようなタイトルですが、これは私自身について言っています。
先日、すごく仕事をがんばったのです。しかし、家族からは、がんばったかどうかは周囲が決めること、と言われてしまいました。私は言い返しました。本人ががんばったらがんばったのだ、と。
たとえば、つらいときはつらいのです。いくら「世の中にはきみよりつらい思いをしている人がたくさんいるよ、きみのつらさなど大したことはない」と周囲に言われたとしても、つらいものはつらいのです。つらいときにつらいと言えることは人間の基本でありました。
イエス・キリストは十字架にかかる前の晩、ゲツセマネというところで、「アッバ(=とうちゃん)、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」と神に祈りました(新約聖書マルコによる福音書14章36節)。つまり、イエスは弱音を吐いたのです。こわいものはこわいのです。弱音を吐くということもまた、人間として自分の気持ちに素直な、人間の基本に位置することだったのです。
先日、ジブリの映画音楽をオーケストラの生演奏で聴くという演奏会に行って参りました。お子さんもたくさん来ておられました。指揮者の竹本泰蔵さんが、マイクで「暑いですねえ、きょう、暑くなかったですか?」というと、客席から「あついー」と答える子供さんの声が聞こえました。指揮者の竹本さんも「ありがとうございます」と言っていましたが、あついときはあついのです。きっとのびのび育てられているお子さんなのでしょうね。大人はこういうとき「あついー」と言わない気がします。聖書に「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(新約聖書マルコによる福音書10章15節)と書いてある意味の深さを改めて思わされます。大人だって暑いときは暑いですよねえ。
というわけで、がんばったときはがんばったのです。本人ががんばったらがんばったのです。それは周囲が決めることではありません。私はがんばりました。ごほうびにカフェオレちょうだい!
