論理的思考:逆は必ずしも成り立たない

昨年(2022年)の6月15日に、「逆は必ずしも成り立たない」というブログ記事を書きましたが、あれから約1年、算数・数学教室をやっておりまして、論理的には逆が必ずしも成り立たないことの重要さを思う日々が続いておりますので、もう1度、逆が必ずしも成り立たない、あるいは、どんなときに逆が成り立つか、というお話を書きたいと思います。これは、昨今よく聞く「論理的思考」と言われるものです。

「あしたの運動会は、雨が降ったら中止です」と言ったとします。これは、必ずしも「あしたの運動会は、雨が降らなかったら開催します」と言ってはいません。あしたの運動会は、雨が降らなくても中止かもしれないのです。しかし、日常的な会話としては、「あしたの運動会は、雨が降ったら中止です」と言ったら、暗黙のうちに「あしたの運動会は、雨が降らなかったら開催です」という意味ですけどね。しかし、これは少なくとも数学だったら通用しないのです。

「集合と位相」の教科書に、以下のような例が出て来ました。「方程式${x+x=x}$を満たすような複素数${x}$のなす集合」。複素数とはあらゆる数です。これ、${0}$は満たしますよね。${0+0=0}$ですから。しかし、${1+1=1}$ではありませんし、${2+2=2}$ではありませんし、${3+3=3}$でもありません。じつはこれ、${0}$以外にこの方程式を満たす複素数はありません。この集合は、${0}$だけから成る集合だったのです。このように、方程式を解くということは、「${x=0}$は満たす」ということを言うのみならず、「それ以外は満たさない」ということを言っているのです。方程式を解くとは、逆も成り立つことなのです。つまり、その方程式を満たす未知数をすべて求めることを、「方程式を解く」と言っているのです。

「東京は日本の首都です」というのと「日本の首都は東京です」というのは、両方とも成り立っています。逆が成り立っています。もしも日本の首都が複数あり、たとえば大阪も日本の首都だったとしますと、「東京は日本の首都です」は成り立っても「日本の首都は東京です」が必ずしも成り立たなくなります。大阪も日本の首都だからです。そんなことはありませんけどね…。

新約聖書マルコによる福音書11章25節に「また、立って祈るとき、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」と書かれています。一方で、新約聖書マタイによる福音書6章14節以下に「もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」と書かれています。後者は、逆も成り立っていますね。前者は、人の過ちを赦さなくても、天の父に赦してもらえる可能性があります。どちらのほうがお好きですか?私は前者のほうが好きですけどね…。(これに限らず、聖書って、逆が成り立つことが多数です。ぶどうの木であるイエスにつながっている人は豊かに実を結びますが、つながっていない人は切って捨てられて、火で焼かれますからね。)

「位相不変量」と言われる概念があります。位相同型な図形であれば、同じ値を返すものです。これは、一般には逆は成り立ちません。同じ値を返したからといって、位相同型だとは言えません。これを、ある大学の先生が、血液型でたとえていました。うまいたとえだと思いますので、真似します。血液型が違ったら、違う人だと言えます。血液型が同じでも、同じ人だとは言えません。ここで、簡単のために境界のない2次元多様体に限りますと、オイラー数というものは、「完全な位相不変量」となります。オイラー数が違えば異なる図形だと言えるだけでなく、オイラー数が一致すれば、同じ(位相同型な)図形だと言えるのです。マイナンバーは完全な位相不変量です。マイナンバーが違えば違う人だと言えるのみならず、マイナンバーが一致すれば、同じ人だと言えるのです!マイナンバーって恐ろしいですね。誰がマイナンバーというものを考えたのでしょうか?

というわけで、逆は必ずしも成り立たないこと、そして、逆も成り立つケースについて、見て参りました。論理的思考力を養うということは、詭弁を見破るという意味でもあります。「勉強しないと成績が悪くなるぞ」と言われても「勉強しなかったら成績が良くなるぞ」ということには一般にはなりません。詭弁を見破れるようになりましょう。ご一緒に算数・数学を学びませんか?

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