「私のヨブ記」、ついに動きあり

私が洗礼を受けた(=キリスト教の信者になった)のは、2000年の12月24日のことです。いまから24年前ですね。当時、修士論文を提出するタイミングでした。25歳になったばかりでした。これから約20年以上、変わらなかったことがあります。
「人生で『最高!』と思える瞬間はいつですか」という問いに、真剣に答えようとすればするほど、私にとってそれは「洗礼を受けたとき」だったのです。25歳で大病を患っても、30歳で数学者の夢をあきらめて中高の教員になったら徹底的に向いていなくて苦しんでいたときも、あまりに教員失格で事務員にさせられたらもっと向いていなかったときも、ずっと「人生で『最高!』と思える瞬間はいつですか」という問いに、真剣に答えようとすればするほど、私にとってそれは「洗礼を受けたとき」となるのでした。私の教会はいわゆる「リベラル」と言われるような教会で、こういうことを言う人は稀でありましたので、教会でこのようなことを言うと、冷やかされてしまうのでした。「あかしですね~」などと言われてしまうのでした。しかし、私の正直な気持ちはそうでした。
しかし、ここ2年半くらい、私の先述の問いに対する答えは違ってきました。「人生で『最高!』と思える瞬間はいつですか」と聞かれたら、いまの私は「今」と答えるでしょう。それくらい、この2年間くらいで、私の人生観は変わりました。人生で最高なのは「今」なのです。いまの私にとっては。
私は1996年8月から日記をつけています。1996年10月にはじめて教会というところに行く前からつけてある日記です。20歳からつけてある日記です。これは、25歳で取り返しのつかないような大病を患ってから、そしてとくに30歳で東京を離れ、就職して地獄のような日々が始まったころから、ひたすら地獄絵図か描かれております。私はときどき日記を読み返すたび「終わりのないヨブ記」だと感じて来ました。旧約聖書に載っている「ヨブ記」は、義人ヨブが苦しみぬくのですが、最後の最後で神様が現れて、あっと展開が変わり、最後はハッピーエンドとなるのです。私の日記は「終わりのないヨブ記」だと感じていました。どこまで読んでも終わりが見えないのです。そのような絶望のなか、20年以上も過ごしました。
しかし、最近、私のヨブ記に、ついに動きがあるのです。光がさしこみ始めました。旧約聖書のヨブ記はまんざらウソではなかった。出口のないトンネルに思えた私の人生に、出口が見え始まったのです。
皆さん。絶望するのはまだ早いですよ。ほんとうに、長い年月、絶望しかないと思っていたのが、人生に光がさしてくることがあるのです。奥田知志さんの本に出てくる言葉から借ります。「生きてさえいれば、いつかきっと笑える日が来る」。これは本当です。どうか、皆さん、あきらめないで生きて行きましょう!
