「聖書テレビ説」に基づいて「ヨハネによる福音書」の謎を解く(聖書オタク記事です)

これは聖書オタク記事ですが、なるべく聖書に詳しくないかたにもおもしろく読めるように書きたいと思います。よろしければどうぞお読みください。

最近、会いに行く教会の「ともみん」と、歌手の矢嵜風花(やざき・ふうか)さんの動画を見たのです。ふうかさんは、小中学生とネットでゲームをして親しくなったそうですが、いまどきの小中学生はなかなか荒んでいるそうで、そういう子たちに神様の愛を知って欲しいな、私が一緒にいるよと伝えたい、と言っておられました。ここから気づいたことがあるのです。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」とヨハネによる福音書のイエスは言います。これは、「心を騒がせるな」と言っていますので、心を騒がせている人、不安な状況にいる人に向けて言っていることがわかります。それで、神を信じなさいと言った直後に、オレを信じなさいと言っている。「神は見えないけど、オレは人間だから見えるだろ?」とイエスは言っているかのようです。

考えてみると、ヨハネによる福音書は「はじめに言葉があった。言葉は神だった。言葉が肉となった」と言って始まっています。つまり、神が人間になった、ということがヨハネ福音書の主要テーマであることに気づかされたのです。

最近、私は腰を痛め(運動不足でラジオ体操などやるからですが。もっと運動せねば)、家族に腰にシップをはってもらいました。これも人間だからできるわけであり、神様は腰にシップをはってくれません。しかし、イエスは人間だから、われわれの足を洗ってくれるのです。イエスが弟子の足を洗う話もヨハネ福音書に出ます。あれは、イエスが人間だから足を洗ってくれるのだ、ということを描いた物語であったことに気づかされます。

神が人間になるとどうなるか。ヨハネ福音書は1章で先述の通り言葉が人となったことを宣言したあと、2章で、カナの婚礼で、水がぶどう酒になります。「ほんとかな」。そして、4章で、サマリアの女のやったことをみんな当てます。「ほんとか?」。5章では38年間、寝たきりの人を起こします。「まさかね!」。そして、盲人の目をあけ、死人(ラザロ)をよみがえらせます。「うそだろ!」そして最後、自ら復活したイエスは、「見ないで信じる者は幸いである」と言ってこの福音書は終わります。「これ、どこまでほんとなんだ!」最近、『さよなら絵梨』というマンガを読みました。最後まで、どこまでほんとだかわからない書き方のしてあるマンガでした。これに似て、ヨハネ福音書というのも、最後までどこまでほんとだかわからない書き方がしてあるわけです。まことにヨハネ福音書はよくできた番組でした。

さきほどの「心を騒がせるな、神を信じなさい、そしてわたしをも信じなさい」というのは、この番組制作者たるヨハネの考えた最高に「かっこいい」場面であるわけでした。

当時はおそらく神も仏もあるものかといった世相だったでしょう。現代に似ているかもしれません。ヘロデみたいな人物が王を務めており、皆さんとてつもない貧乏であり・・・。神が人間になって来てほしい世相であったと考えられます。ちょうど、桃太郎のおじいさん、おばあさんのところに、川から大きな桃が流れて来て男の子が生まれるように。あれは、おばあさんの切実な思いが川をして桃を流れせしめたのかもしれません。あるいは、テストで0点ばかり取って先生に叱られ、ガキ大将からいじめられる日々を送る小学生のところに未来からネコ型ロボットがやってくるように、「神が人間となってやってくる」というのは、当時のみんなの願いだったのではないか、と思われるわけです。

というわけで、ヨハネ福音書の謎を解きました。神が人間になるというのが主要テーマの福音書だったのです!以上です!

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