「こち亀」が長く続いた理由

どこから話をしようかな…。また聖書からにしますか。ちゃんと「こち亀」の話になりますよ。
田川建三「新約聖書 訳と註」という叢書があります。「訳と註」と言っていますが、訳より「註」のほうがはるかに長い書物になっています。それはもう、アンバランスなほどです。ものすごくぶ厚い本のシリーズです。あの長い註を読んでいて思いました。これは、田川さんの「甘え」ではないかと。
私はここで「甘え」という言葉を悪い意味で使っていません。甘えは誰の心にでもある自然な気持ちです。
田川さんの註をすべて読むと、いらないことまでたくさん知ってしまいます。田川さんは、非常に賢くて神学の道に進んだらしいことがわかります。あまりに賢すぎて冷遇されてきたらしい人だとわかります。冷遇された人はぐちが多くなります。あの註は、田川さんの読者へのあつかましさが爆発しているところではないか。
「どうぞ私の書いた註をすべて読んでください。こんなにも私以外の学者は賢くないのです。私だけがこんなに賢いのです。それゆえに私は冷遇されて来たのです。どうぞ私の意見を聞いてください。どうぞ私の書いた註をすべてお読みください」という心境ではないでしょうか。
これと同じようなもので、やはり膨大な量がある著作があります。秋本治「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(こち亀)です。これはご存じのかたも多いでしょう。お巡りさんと交番のマンガです。両さんというのが出て来ます。
現在、201巻が出ているようですが、私が知っている30年前の「こち亀」について書きます。
私が高校生のころ、「こち亀」は「ジャンプ」に連載されていました。高校生のころ、よく、違う高校に行った中学時代の友人の家に遊びに行きました。彼の家にはたくさんの「こち亀」のコミックスがありました。当時で何巻くらい出ていたでしょう。あれは、今思えば、作者の「読者へのあつかましさ」ゆえに続いたマンガだと考えられるのです。こち亀の作者は、読者に「読んで欲しい」のです。われわれは、こち亀を「読んであげていた」のです。
話はしばしば「交番とお巡りさん」をはるかに逸脱し、趣味の話に走っていました。また、よくこち亀は「季節外れ」が起きていました。多くの漫画家は、たとえばいま書いているものが出るのがバレンタインデーのころなら、それを意識して書くものと考えられます。クリスマスとか、七夕とか。それが、両さんは、時期はずれなときに花見をしていたりするのです。そこによくジャンプの編集者さんのものと思われる注があり「これは作者が非常に原稿を早く仕上げることによる季節外れです」ということが書いてあったと思います。秋本治さんは、締め切りに追われるタイプではなく、逆に、早く仕上げるタイプだったのです。とにかく読者に読んで欲しいからです。
世の中で、長く続く連載って、ときどきこの性質を持っているような気がします。
私も、数学教室をしていて、しばしば生徒の皆さんに支えられているなと感じることがあります。私の話を聴いてくださる人に私が支えられているのです。
以上「「こち亀」が長く続いた理由」でした!
(※このブログも予約投稿されていて、いまは2023年6月20日ですからね。秋本治さんと同じ現象が起きています。「早く書きすぎ」。)
(※サムネは作品社さんの許可を得ました。こち亀の集英社さんは不可でしたね。)
