お金がもったいないというより水がもったいない(黒柳徹子さんがコンビニスイーツを食べる番組と新約聖書ヨハネによる福音書)

ある仲間が、シャワーを浴びたあとに、蛇口から水がポタポタ垂れるのは、水道代がもったいないと言っていました。私は、それはそうだけど、ほかにもっとお金の無駄遣いを減らすべき場面はあるのではないかと思っていました。あるとき、彼の言う意味が分かったときがあるのです。彼の言う意味は、お金がもったいないというより、水がもったいないという意味だったのです。確かに。水とは、川から引いて来て、浄水場できれいにした、手間ひまのかかっているものだからですね。
これは、私が、お金の価値を少しずつ分かりつつある一里塚となる気づきでした。参考文献[1]では、「労働がもったいない」という言いかたをしています。また彼は、荷物の再配達は、仮にそれが無料であっても、配達員さんがそこでどれだけの無駄足をするかを考えて、できるだけ再配達にならぬように荷受けをします。それから、いらないものは、歩いて30分以上かかる古本屋さんに売りに行っていました。わずかなお金にしかならないのですが、これもお金ではなく、ものを処分するよりは、誰かに使って欲しいのです。お金の価値のわかった人でした。
ここで、黒柳徹子さんの番組の話をいたします。ここ1か月かもう少し前くらいに、私に、萩本欽一さんの本を2冊、送ってくださったかたがいます。自分から萩本欽一さんの本を読むことはありませんので、ありがたい出会いだと思って読んでいます。想像よりおもしろい本でした。そこで、次に読むべき本は、もしかしたら、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」ではないかと直観したのです。そこで、先日、ちょっと黒柳徹子さんについてインターネット検索しました。徹子さんは、テレビ放送の初日からテレビに出ておられるのですね。最近の徹子さんはほとんど知りません。YouTubeチャンネルが2021年からあると知り、ひとつ、番組を見てみました。
徹子さんが、コンビニスイーツを食べて、ベストスリーを決める番組でした。徹子さんの前のテーブルに、ところせましとコンビニスイーツが並んでいます。この番組で最も興味深かったのは、以下の点です。そのコンビニスイーツは、ちょっとずつしか食べませんので、大幅に余るわけです。それはいかにももったいないわけです。徹子さんは概要欄に、以下のように書かれていました。
とっても美味しかったので、残ったスイーツも家に持って帰って、
あとでゆっくりいただきました。
そして、番組の終わったあとに、収録後の場面として、「徹子の部屋」のスタッフの皆さんが、思い思いに余ったコンビニスイーツを持ち帰る場面が映し出されました。私もこういう場面は見たことがあります。かつて勤めていた学校で、職員室でお菓子などが出ますと、皆さんハイエナのように持って行って食べるものでした。これは昨今の食品ロスの問題に配慮した場面かもしれませんが、とにかく、「もったいない」という気持ちから発する場面です。
聖書が昔のテレビだとしますと、たとえばヨハネによる福音書のようなものは、番組であることになります。五千人でパンを食べる話が出て来ます。イエスが5個のパンと2匹の魚を配ります。「人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑(くず)を集めなさい』と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠(かご)がいっぱいになった」と書かれています。この話は、4つある福音書のいずれにも収録された話ですが、このヨハネによる福音書が最も鮮明にパンのくずを集める理由を書いています。「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」。ここでパンのくずを集めるのは、もったいないからだったのです!
(これは、参考文献[2]で指摘されています。おそらく他の3つの福音書でパンのくずを集める理由も、番組として、もったいないからであろうと思われます。)
男が五千人いたということです。女性もいたとしますと、一万人くらいいたと考え、私の親友の牧師は、だいたい両国国技館の満員が一万人で、そのくらいの人数に相当すると言っていました。それくらいの人が、草の生えているところに座り、みんなでおなかいっぱいになるまで、パンを食べたのです。そして、パンくずを集めたら、12のかごがいっぱいになったということです。「かご」というのが、どれくらいの大きさのものか、想像がつきませんが、おそらく一万人の人が草原に座ってパンを満腹するまで食べたら、それくらいのパンくずが出るものかもしれません。
徹子さんの前にところせましと並べられたコンビニスイーツ。そして、もっとスケールが大きいと思いますが、五千人でパンを食べる話。いずれも、とても人気のある番組です。食べ物の話は、いかにたくさんテレビで放送していることでしょう。そして、聖書において、イエスはひんぱんに食事をしています。なぜ、聖書に食事の話が多いかもわかりました。食事というのは、嫌な人とはしたくないものです。それはおいしくないからです。みんなで楽しく食事をする場面は、みんなの人気の場面だったのです。
私は、自営業の初心者として、お金とか、仕事というものの見直しの時期に来ています。水が蛇口からポタポタと垂れてもったいないのは、お金がもったいないというより、水がもったいないのでした。お米の一粒一粒は、農家の人が丹精込めて作ったものであるから残さず食べないともったいないという意味も通じて来ました。お金がもったいない、時間がもったいないと言いますが、それらの言葉の本来の意味を、49歳にして、少しずつ感じています。「もったいない」という言葉の真の意味のわかる人間になりたいです。
参考文献
[1] 田内学 『お金のむこうに人がいる』ダイヤモンド社
[2] 田川建三 『新約聖書 訳と註 第五巻 ヨハネ福音書』作品社
