どうして東大入試は年々やさしくなっていくのか

「どうして東大入試は年々やさしくなっていくのか」というご質問を、あるところでお受けしましたので、私の考えを述べさせていただきました。それをブログ記事にする次第です。

私が東大を受けたころは、いまから31年前でありまして、そのころのわれわれはベビーブームまたは団塊ジュニアと言われる世代であり、ものすごくたくさんの子供がいました。少子化という言葉はなく「受験戦争」と言われていました。そのころの東大の入試より、その12年後、私が30歳で中高の教員として就職するころには、だいぶ東大入試はやさしくなっていたということがあります。(私は大学入試問題を解くという「教員のたしなみ」ができないダメ教員でしたが、東大入試のみならず、大学入試問題がのきなみ昔よりやさしくなってきているのは、多くの教員の共通認識であったと思います。)それからさらに20年くらいが経過し、その傾向は拍車がかかっていると思います。

私が最近、気が付いたことは、もしかして多くの皆さんが、「比例」と「1次関数」の違いが言えないのではないか、ということがあります。高校入試の論述問題で「比例と1次関数の違いを述べよ」と言ったら、多くの中学生は答えられないのかもしれません。これは意外と東大入試向きかもしれない、とも思いました。比例も1次関数も中学で習いますけれども。あるいは、約分について東大入試で聞いてもいいのかもしれない。なぜ、分母と分子を同じ数で割ってもいいのか。これはうまい具合に質問を考えれば、東大入試になるかもしれない・・・。と思うほど、最近の東大入試、あるいは大学入試は、やさしくなっています。「約分」は小学校算数ですけどね。

この現象の意味を考えるのが、このブログ記事の主眼です。

最近、よく耳にする政策で、最低賃金を1,500円にする、というものがあります。私も最近、その話でブログ記事を書いたところですが、要点をもう一度、整理して書きますね。(その記事も最後にリンクをはろうと思います。)私が最低賃金というものを知ったのは、仕事を失うタイミングで、前の職場では私の発達障害および睡眠障害への配慮がなかったため、つぎは障害者手帳を取得して、障害に配慮してもらいながら仕事をしようと思ったときでした。しかし、障害者の求人は、「清掃」とか「いちごのパック詰め」とか「ねこのえさの袋詰め」といった、いわゆる軽作業と言われるものしかなく、それらは最低賃金労働なのでした(最低賃金を割っていることもあり、その場合は賃金と呼べないので工賃と呼びます)。ある地方都市で障害者福祉をまわったときは、その年のその地での最低賃金である、854円というのが、あらゆる障害者福祉にべたべたとはってあり、嫌でもその土地の最低賃金を覚えざるを得ませんでした。そのころ、最低賃金が1,000円を超えていたところは東京と神奈川だけでしたが、いまはかなりの土地で最低賃金は1,000円を超えるようになってきました。私の住む土地でも、この10月から最低賃金は1,077円になっています。

これは、雇う側の守るルールです。その認識も私には長いことありませんでした。私はいま、星くず算数・数学教室の「代表取締役」で(大げさですけれども。ひとりでやっている自営業です)、私は最低賃金に関係なく働いています。たったいまもブログを書いていますが、これも労働であると言えば言えるわけです。ただし、あり得ないことではありますが、私が仮にスタッフを雇ったとしますと、その人には、1時間、働いてもらうごとに、1,077円を支払わねばなりません。最低賃金とは、雇う人の守るべきルールであり、雇われて働く人の権利でありました。

(ちょっと脱線ですけど、したがってときどきテレビなどで、「国会議員の給料は時給1,000円にしろ!」とかいう意見を聞きますが、それは違法なはずです。東京の最低賃金は先述の通りけっこう前から1,000円を上回っています。私の住む地も「時給1,000円」は違法ですよ。最低賃金は先述の通り1,077円なので、77円、足りないです。というわけで、多くの人は最低賃金というものをご存じないのかもしれません。あながち比例と1次関数だけではないですね、皆さんわかっていそうでいないもの。)

それで、たとえば洗濯機にせよ、自動車にせよ、お弁当にせよ、引っ越し業者にせよ、あらゆる製品やサービスで言えることがあります。自動車を例に取ってみましょう。私は小学生のころ、日産の自動車工場の見学をしたことがあります。小学校の通学帽を落として紛失したことが強烈な思い出となっており、肝心の自動車工場見学でなにを見たのか、忘れており、くやしいのですが、とにかく自動車工場の見学をしたことがあります。(ごみ処理場の見学をしたこともあり、それはよく覚えています。大きなところで生ごみの処理をしておられました。もう40年くらい前の話で、古い話でしょうが。)自動車はいったいどのように作られて、どのように運ばれて、買う人のところまで来るのでしょうか。部品は下請けの会社が作るのでしょうか。組み立てはどこでするのでしょうか。不明な点が多いですが、すべて労働者が働いておられるのは確かです。部品もさかのぼると、どこかで材料となる金属を掘っている人にまでたどりつくでしょう。ここで、外国の労働に頼っている可能性もありますが、話を単純にするため、国内の労働者に頼っているとしましょう。すると、あらゆる人の最低賃金が、現在の平均である1,000円から、5割増しの1,500円になるとしますと、あらゆる人件費が1.5倍になりますよね。これは、コンビニのおにぎりでもそうであり、パソコンでもスマホでもそうです。物流の人件費も1.5倍となり、小売と言いますか、売る人の人件費も1.5倍になると、どうなるかと言いますと、自動車の値段が1.5倍になり、洗濯機の値段が1.5倍になり、おにぎりの値段が1.5倍になり、スマホの値段が1.5倍になるわけです。すなわち、物価が1.5倍になるのです。つまり、最低賃金が1,000円から1,500円になりますと、物価が1.5倍に上昇すると考えられます。簡単な計算ではそうなりますよね。つまり、物価の上昇が加速すると考えられます。ここで、たとえば自動車の値段がかろうじて1.5倍にはならないですむ道があります。

私の元クラスメイトに多いのですが、だいたい東大を出て大手企業のメーカーのエンジニアとなりますと、ものすごくたくさんの給料をもらっています。私の同輩と言いますと、いまアラフィフですから、それで大企業のエンジニアともなりますと、月に100万以上はもらっているでしょう。年功序列でしょうからね。そんなにお金をもらって意味あるのかと思いますけど、そういう人の賃金をすえおきにするなら、かろうじて自動車の値段は1.5倍にならないですむということになります。最低賃金労働者の人件費は嫌でも1.5倍になるでしょうが、そういう、たくさんもらっていて、おそらく大した仕事はしていないのでしょうが、そういう私の元クラスメイトみたいな人の給料をすえおきにするなら、人件費の1.5倍はまぬかれるでしょう。

これ以上書きますと、単なるひがみになってしまいますので(笑)、このへんにしますが、では、彼らがなぜ東大に入ったかを考えてみますと、まさに、高校時代までにたくさん勉強をして、東大に入り、その高学歴を使って大企業に入り、ラクしてたくさん稼ぐためにそうしてきたわけですから、彼らが、あらゆる最低賃金労働者の賃金が1.5倍となり、あらゆる物価が1.5倍になったとき、自分たちの賃金だけ、お値段すえおきで、納得するかどうかはわかりません。

(給料と物の値段については、こういう興味深い現象があります。皆さん、もらう給料は多く、払うお金は少なく、がいいのですね。しかし、払うお金は少なく、といっても、そのサービスを提供する側からすると、それが収入ですから、それは多いほうがいいのです。というわけで、ラクして儲かる仕事はないと言うのが正しいのです。あるいは、ラクして儲かる仕事もあるのでしょうが、それはこの議論で見た通り、結果として貧しい人の生活を圧迫しています。具体的には、そういう一部のラクしてたくさん稼いでいる人間への賃金が、洗濯機や冷蔵庫やスマホなどの値段を上げてしまっているものですから。この「逆の視点を持つ」ということが想像以上に困難であることは、世の中のあちこちで見られます。キリスト教の聖書にしても、イエス・キリストの視点で見ることのできる聖職者が、驚くほど、イエスに助けてもらう人間の立場で聖書を読めていません。ほかいろいろ。)

というわけで、東大に入る理由というのが、学問を修める以上の意味があって、いい企業に入って、ラクしてたくさん稼ぐためであるならば、どうしても点を稼ぐための勉強となり、勉強とはテスト勉強のことになり、学問ではなくなり、それで比例と1次関数の違いも言えない東大生がたくさん生まれるのです。よろしければ東大教養学部の数学の教材をご覧ください(どなたでもPDFファイルでダウンロード可能です)。われわれのころは、東大とは、高校までの勉強が完全に理解できた人の行く学校でした。いまの東大生向けのテキストは、高校の数学から、場合によっては中学の数学から、学び直しの教材となっています。それは確かに、中学のころから、点を取るためだけの内容のない勉強ばかりしてきて、それが勉強だと思っていたら、東大に入ってから、中学の内容からおさらいしなくてはならなくなるでしょうね。

(私にこの質問をなさったかたは、私がここまで説明をしましたら「国力の低下」ということを言われました。私には「国力」などという難しいことはわかりません。ただ、私はここで細々と算数・数学教室の講師をするだけの人間です。)

最近、引っ越し業者さんに頼ることがありました。荷物を運ぶ業者さんは、引っ越しの仕事はものすごく楽しいと笑顔でおっしゃっていました。確かに、引っ越しは意味のある仕事です。目の前のお客さんの役に立って、喜んでもらえます。力仕事が向いていて、てきぱき荷物を運ぶことができる人ならば、引っ越し屋さんはとてもやりがいのある仕事だと言えると思いました。これに対して、しばしば大企業で話に聞く、意味があると思えないような仕事をやる皆さん。稼ぐ金額は大きいかもしれませんが、おそらくやりがいは引っ越し業者さんのほうがあるでしょう。私は悟りました。子供のころからなんとなく、大人になったら自分で食うために、働くのだと思っていました。それは違いました。社会はお互いに支え合ってできています。お互いに頼り合い、お互いに助け合って、社会で生きていくのです。それを仕事と言うのでした。だれかの役に立って喜んでもらえること、それが仕事でした。ようやく私は仕事の意味を悟りつつあるわけです。

それを考えると、私のこの「星くず算数・数学教室の講師」という仕事は、やはりあくまで「障害者の仕事」なのだな、と痛感します。私は、他の仕事もできるけれど、この仕事をしているわけではなく、他のほとんどの仕事ができなくて、これしかできないから、やむを得ずやっている仕事なのです。「テストに受かるためではない、純粋に学問としての数学」というのは、ニーズは少ないのかもしれません。それでも、ごく一部の皆さんに、喜んで当教室で学んでいただいています。ほんとうに皆さん、ありがたい生徒さんです。というわけで、私がこの仕事をしているのは「強みを生かしている」というより「弱みを避けている」のです。この差は想像以上に大きいです。でも、勤めているころはほんとうに何の役にも立ちませんでした。いま、私は感謝されながら仕事をしています。収入こそ勤めていたころに比べたらずっと少ないですけど、ほんとうにありがたいです。引き続きがんばりたいです。

(先述の、障害者向けの軽作業で、最低賃金労働である「清掃」「いちごのパック詰め」「ねこのえさの袋詰め」といったものも、具体的に誰かの役に立つ仕事ではあります。少なくとも大企業での、しばしばなんのためにやっているのかわからない仕事に比べれば、賃金は少なくてもやりがいのある仕事と言えるかもしれませんね。)

最近、エックスで「これより幸せな画像を上げた人が優勝」というような投稿を見ました。クレヨンしんちゃんの一場面です。どうやら家族でしゃぶしゃぶをやろうとしている絵でした。「いただきます」をする場面で、正面には父ひろしが、ビールを持って、ワッと笑っており、右側では母みさえが、箸を片手に、ワッと笑っており、左側ではしんのすけが、向こうを向いてワッと笑っており、赤ちゃんはみさえの腕にいます。確かに、「これ以上の幸せがあるか」と思えるような一枚の絵でした。規模は小さいです。ある一家のしゃぶしゃぶを食べる前の一場面に過ぎませんが、極めて幸せそうでした。こういうのに学歴や収入は関係ないものです。皆さん、ひとに喜ばれる仕事をして、幸せに暮らそうではありませんか。年々やさしくなる東大入試、大学入試に勝って、ラクして稼ぐ道(いまや廃れる道)よりも、具体的に働いて、「お客様の笑顔」をかてにして生きて行きませんか。そういう「おもてなしの精神」で仕事をされるかたは、ヨドバシカメラの店員さんにも、ソフトバンクの店員さんにも、マクドナルドの店員さんにも、おられました。マクドナルドの店員さんは、文字通り、スマイル0円の精神でやっておられましたね。ソフトバンクの店員さんは、ほんとうに賢い店員さんで、私も助けられました。孫正義さんから社長賞を贈っていただきたい店員さんです。孫正義さんも、そんな賢く手厚い社員さんがおられるのを知ったらきっと喜ばれると思いますね。

本日の記事は長かったですね。以上です!

(最後に、先ほど触れた記事のリンクをはりますね。)

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