ビラ配りのバイトは得意でした

町でときどき、ビラ(チラシ)を配っている人を見かけると思います。私は「ビラ配り」のバイトはしばしばしました。そして、意外に思われるでしょうが、私にはビラ配りの才能があったのでした。本日は少し、私のビラ配りのバイトについて書きたいと思います。

最初は、寮に貼り出されていた、紳士服のビラ配りのバイトでした。もともと東大オーケストラという、時間的に厳しい部活動をしていた私にとって、単発のバイトはありがたいものだったのですが、日記によると、東大オケをやめたのちも、しばしばやっているのがこのビラバイトでした。

ビラバイトには、町に立って手で配る「手まき」と言われるものと、ある区域を指定され、その地域の一軒一軒にチラシを入れて行く「ローラー」と言われるものとありました。

2時間単位の単発のバイトでした。朝10時から正午、そこから午後2時まで、午後2時から4時まで、の3回あり、それらが「手まき」だったり「ローラー」だったりしました。時給1,500円であり、2時間で3,000円でした。したがって、まる1日やると9,000円でした。これを月曜から金曜までやると45,000円だったのですが、私はさすがにそれはやったことがありません。いくらなんでも学業や音楽のほうが重要でしたからね・・・。

「手まき」からご説明いたしますね。

「手まき」は、2時間で500枚を持たされました。「配り切れない量」という意味です。それで場所を指定され、そこで手で配るのでした。

じつは、きのう、ティッシュ配りの人を町で見たことがこの記事を書こうと思ったきっかけですが、私はティッシュを配ったことはありません。紳士服のチラシです。チラシですから、内容を見てもらわねばなりません。いまでこそチラシ配り(あるいはティッシュ配り)の人は、一枚一枚、ていねいに配っておられますが、私がこのバイトをしていた四半世紀以上前の東京では、そのように一枚一枚をていねいに配るやりかたは主流ではありませんでした。一枚、出しては引っ込め、また出しては引っ込め、ということをするのが普通であったと思います。しかし、どういうわけか私はこれを、ていねいに一枚一枚、配るスタイルを自ら確立し、それでうまくいっていたのです。

まず、遠めの人に目をつけます。その人と目があうと、私は最大限、にこやかにしながら、ビラを見せ始めます。とにかくティッシュではないのですから、内容を見ていただくしかありません。内容を見て、取るかどうか考えておられるかたには、ずっとビラを見せ続けました。バックしながらでも見せ続けました。それでもらっていただけたらラッキーで、もらっていただけなかったらまた次の遠めの人に目をつけるわけです。

これは、少し腰を低くしたほうがもらってもらいやすいのでした。毎回、腰を少し下げるのはたいへんでしたが、これはやったほうがいいことでした。

紳士服のビラは、女性に配ってもよいことになっていました。その女性がだんなさんのために紳士服を買うかもしれないからです。あまり小学生のような人に配ってはいけなかったかと思います(もっとも場所は六本木のオフィス街のようなことが多く、そんなに小学生はいなかったとは思いますが)。ひとつ言えるのは、たとえばおばさん3人連れがいて、ひとりがもらってくれた場合は、あと2人は、追いかけて行っても配る価値はあったことです。必ずもらってもらえます。これは、男性2人連れのひとりがもらってくれても、もうひとりがもらってくれるとは限らないこととは対照的でした。

私がどれほどビラ配りができたかという成果については、その2時間で決して配り終わらない量であった500枚を、30分で配り終わった日があることなどがあります。その日は新宿のオフィス街でのバイトだったと思いますが、それで本部に帰ると、それでその2時間のバイトは終わりとなりました。

この「ビラは一枚一枚をていねいに配る」という作戦は、先述の通り、いまでこそ皆さん当たり前のようになさっていますが、当時は「画期的」だったのです。しかし、この技は誰にも伝授されませんでした。あるとき、会社の「上司」が、バイトがきちんと仕事をしているかどうかを見に来ました。私の、一枚一枚をていねいに配るさまをみて「そんなんじゃダメだよ、こうやるんだよ」と言って、一枚出してはすぐ引っ込める当時の常識的な配り方を見せてくれたこともありましたが、いやいや一枚一枚をていねいに配ったほうがかえって早く終わるのですよ・・・と思ったものです。

「ローラー」についても少しご説明いたしますね。ある区域を指定され、そこに一軒一軒、チラシを入れて行く作業です。これは、アパートやマンションなど、いっぺんに何十枚と入れるところがあるのを見つけると「ラッキー」でしたが、そういう場合は、管理人さんから追い払われることもありました。のちに、いまも、そのようなチラシを私の住まいに入れて行かれる人はおいでになります。ときどき「たったいま入れている」という瞬間に出会うこともあります。「私も若いころ、そのバイトはやっていました。お疲れ様です」と申し上げたいのですが、それが言えたことはありません。

私が配ったビラは、紳士服だけではありません。TOEICの合格のための英語塾のビラも配ったことがあります。これも、TOEICの試験が行われるときに会場で配るという単発のバイトでした。私は25歳の大病でなにもかも失ってしまったかのようですが、意外にもビラ配りの才能は失われておらず、大病後にもTOEICの合格のための英語塾のビラ配りで本領を発揮しました。紳士服のときと同様に配るのですが、ピークの25分前にすべて配り終わってしまい、本部に電話したところ、そのまま帰ってよいことになりました。これも「30人連続でもらってもらえた」といった快挙がありました。30人連続でもらってもらえたときは、なにかTOEICの試験を受けるのに必要な書類を配っているかのように捉えられたのではないかと思われました。前の人がもらっているのを見た人は、自分ももらう(もらいたくなる?)ようなのでした。とにかく私にビラ配りの才能はありました。

私がビラバイトをやらなくなってしばらくしたのち、皆さんはビラ配りがじょうずになって来られました。まさにきのうのティッシュ配りの人のように、笑顔で一人一人に声をかけ、ひとつひとつをていねいに配っておられるのです。もうビラ配りをやることはないと思いますが、これはひそかに学生時代の私の誇りとなっています。

本日の記事は長かったですね。以上でございます。

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