ブルドーザーのように怒る人は、たったいま地獄に落ちているところ(私も含めて)

「なにやっているのだー!!」

と、ブルドーザーのようにドドドド!と怒る人がいます。私のかつての上司にもいました。なにを隠そう、私にもそういうところがあります。最近、気づいてきたことがあります。そういう人は、たったいま、「地獄に落ちて」いるところなのだと。「ひー!」という悲鳴にならない悲鳴が「ドドドド!」という猛烈な怒りとなって表れているところなのだと。

私が学校に勤めていて、入学試験の試験監督をしていたときのことです。初年度で、解答用紙の集め方を間違いました。当時の教頭が「ドドドド!!」と激しく怒りました。この場合「どうしよう!」と思ってまず地獄に落ちたのはその教頭なのです。「こんな集め方じゃ採点できないじゃないか!」とその教頭は怒りました。しかしそれは、まずその教頭自身の恐れの現れだったのです。こんな集め方で採点が遅れたらどうしよう、と。そこまでその恐れが言語化されていたかどうかはわかりませんが、入学試験というぴりぴりした空気のなかで、思わず「恐れ」がブルドーザーのような怒りという形になって表れた、ということでしょう。

「あなたみたいな人は、そのうち誰からも信頼を失って、ひとりぼっちになっちゃうよ」と私を脅してくる人もいます。これも、気づいてきたことがあります。そういう人は「わたしたちはたくさんの仲間がいるから、決してひとりぼっちになることはないけれど、あなたはそうやってひとりぼっちになっちゃうよ」と言っているように聞こえるものです。しかし、実際は違いました。そういうことを言う人本人が、まずひとりぼっちになってしまうことを恐れているのです。ひとりぼっちになってしまうことを最も恐れている人は「あなたはそんなことをしていると、ひとりぼっちになっちゃうよ」と脅してくる人でした。

「イエス・キリストを信じない者は、地獄に落ちます」。私が東京にいた時代に、よくクリスマスごろ、渋谷の街宣車で聞いた「演説」です。どこの教派のかたか存じませんが、こういう人も、「われわれはイエス・キリストを信じているから決して地獄に落ちないが、信じていない君たちは地獄に落ちるぞ!」と言っているように聞こえるものです。しかし、それは違いました。まずいまにも地獄に落ちそうなのは彼本人なのです。だからこそクリスマスに街宣車を出して渋谷の街に繰り出してしまうのです。本当に自分は地獄に落ちないと「大船に乗って」いる人は、決してそんな行動に出ないでしょう。

というわけで、皆さんどろぶねに乗っておいでなのです。かくいう私もそうです。ちょっとしたことで「ドドドドド!!」と怒ってしまいます。それは、まさに私が地獄に落ちそうに(どろぶねから落ちそうに)なったときのサインです。私はどうやったらどろぶねから降りられるのでしょう?

私がどろぶねから降りることは絶望的です。お育ちが悪いからです。私は、2歳の誕生日には、もう生まれてから2年も経過しており、立派などろぶね乗りでした。いまさらどろぶねから降りられないのです。ではどうしたらよいか。人に話を聞いてもらうことです。私は「どろぶねから降りる」ことを目標にして生きるのでなく「どろぶねに乗っていても沈まない」ことを目標に生きようと思っています。

そのようなわけで、ブルドーザーのようにドドドド!と怒る人は、まずご本人が地獄に落ちているところなのです。「ドドドド!」というのは、悲鳴にならない悲鳴なのです。悲鳴というのは「ひー!」とか「助けてー!」というものでしょうが、彼ら(私も)は、悲鳴すら上げられないのです。まさに針山地獄の上を歩き続ける人と言えましょう。今度、ブルドーザーのように怒られたときは、ちょっとその怒る人を憐れみの目で見てあげてくださいね。

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